2026年5月2日
※文化時報2026年2月27日号の掲載記事です。
冬のスポーツを観るのが好きだ。白銀のキャンバスを縦横に駆け抜けるスキーやスノーボードの軌跡、無重力の宇宙に飛び出すようなジャンプ、そして、銀盤の上で色とりどりに咲き誇る花のようなスケーターたち。競技としての面白さもさることながら、その映像美にも魅了される。

そんな私に、ミラノ・コルティナ冬季五輪で最高の感動をもたらしてくれたのが、フィギュアスケートの三浦璃来、木原龍一の「りくりゅう」ペアだ。
ショートプログラムで5位と出遅れた後、フリーで世界歴代最高得点をたたき出して大逆転の金メダル。演技終了後に泣き崩れる2人の姿に思わずもらい泣きしたのは、私だけではないだろう。
りくりゅうペアのここに至るまでの歩みは平坦ではなかった。木原選手は、2014年のソチ五輪からオリンピックに出場しているベテランだが、19年には成績不振で前のパートナーとのペアを解消して、地元のスケートリンクでアルバイトを始めた。引退も頭をよぎっていたそのタイミングで三浦選手と出会い、ペアを結成した。
世界選手権とグランプリファイナルで、それぞれ2度の優勝を果たすほどのトップペアとなったが、北京五輪では7位。それぞれがけがに苦しみ、新型コロナウイルスの影響で練習拠点としたカナダから1年半あまり帰国できなかったつらい時期もあった。
数々の苦難を乗り越えてたどり着いたミラノ・コルティナ五輪だったが、ショートプログラムでまさかのミス。勝利の女神は最後の最後まで2人に試練を与えた。しかし、りくりゅうはそれも突破して、輝くばかりの演技で頂点に到達した。
試合後、2人が何度も口にしたのは「7年間の積み重ね」と「信頼」という言葉だった。
2人がペアを結成した19年は、私にとっても人生の大きな転機だった。大崎事件第3次再審請求で、地裁と高裁が再審開始の判断を重ね、再審無罪のゴールの目前で、最高裁が開始決定を取り消した。
その直後に同居の母が自宅前で転倒し、大腿骨を骨折して車椅子の生活となり、施設に入所。さらに、鹿児島で私が設立した事務所の事務長を務めていた夫にステージ4の大腸がんが見つかり、事務所を閉所することになった。
その後夫と母を相次いで亡くした私は京都弁護士会に移籍し、再審法改正に向けた活動を本格化させた。しかし、あと少しで議員立法による法改正実現というところで、法務検察の意向に沿った法制審の答申が行く手を阻もうとしている。
りくりゅうのペア結成からオリンピック金メダルまでの7年間は、再審法改正への闘いの期間とほぼ重なる。私にも、「7年間の積み重ね」と、その間に出会った新たな「同志」たちとの「信頼」がある。
冬のスポーツの頂点に立った2人の笑顔は、来(きた)るべき次の季節を私に教えてくれているのかもしれない。
―おわり―
【用語解説】大崎事件
1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。
出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年の第4次再審請求は最高裁が25年に棄却。26年1月8日、第5次再審請求を行った。