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「文化時報」コラム

〈103〉2倍速の社会

2026年4月26日

※文化時報2026年3月6日号の掲載記事です。

 スピリチュアルケア伝道師(自称)として、お声がかかればどこへでも馳せ参じる日々。その行き先のひとつとして、看護学校へも顔を出させていただいています。

傾聴ーいのちの叫び

 先日、授業の後、教務主任の先生からお茶を振る舞っていただいたときのことです。「最近の学生は、課題の動画を2倍速で見るんですよ。時短なんだそうです」。通常の速度で見れば倍の時間がかかる。コストパフォーマンスが悪い、というわけです。

 そんなことができるのかと、帰宅してさっそく2倍速なるものを試してみました。なるほど、かなりの早口ではあるものの聞き取れる。映像も飛ぶように流れはしますが、確かに内容は把握できます。用は足ります。足りるのですが、どうにも落ち着かない。「会話の間」などあったものではありませんし、入浴も食事もトイレも秒単位で過ぎていく。座って見ているだけなのに、なぜか脈が速くなってしまいました。

 ふと周りを見渡せば、世の中全体がそんな調子のようにも思えます。スーパーのレジに並んでイライラする。5分もせずに次の電車が来るというのに階段を駆け上がる。車内ではすぐにスマートフォンを開き、歩きながら音楽を聴き、聴きながらメッセージを打つ。まるで滑車を回し続けるネズミのように、止まることなく動き続けています。

 人間の順応力はたいしたものです。いつのまにか2倍速になっている社会にも、頭と体はちゃんとついていくことができる。効率は上がり、無駄は省かれ、時間は節約されます。けれど、はたして心はどうでしょうか。

 看護学生の課題動画も同じです。内容は理解できる。だからレポートは書ける。けれど、映し出された人の表情や、言葉の余白から滲み出る機微が、心の底まで沁み込んでいく時間はあったのでしょうか。

 スピードについていけず、置き去りにされた心は、静かに乾いていきます。そしてある日、「なんのために生きているのか」と問いはじめる。

 いらぬ心配かもしれませんが。

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