2026年6月29日
※文化時報2026年5月29日号の掲載記事です。
旧約聖書の『ヨブ記』は、「なぜ人は苦しまねばならないのか」という問いを、真正面から描いた物語である。

ヨブは、神を畏(おそ)れ、誠実に生きる人物だった。善人であり、信仰深く、家族にも恵まれ、多くの財産を持っていた。
しかしある日突然、そのすべてを失う。財産は奪われ、使用人は死に、愛する子どもたちも命を落とす。さらにヨブ自身も、全身を悪性の腫れ物に覆われる。皮膚はただれ、痛みと痒(かゆ)みに苦しみ、灰の中に座り込み、土器のかけらで身体をかきむしる。その姿は、社会的地位も尊厳も、すべて剥ぎ取られた人間の姿である。
ヨブのもとに3人の友人が訪れた。彼らは変わり果てたヨブの姿を見て泣き、七日七夜、ただ黙って共に座る。言葉はない。ただ苦しむ者のそばに在(あ)った。
だが、やがて友人たちは口を開き始める。「苦しみには原因がある」「善人は祝福され、悪人は罰せられる」「これほどの苦しみには、必ず罪がある」。彼らは、苦しみには必ず因果があると考えはじめたのだ。その言葉は、ヨブをさらに追い詰めた。
ここに『ヨブ記』の核心がある。
人は苦しみに直面すると、理由を求めたくなる。信仰や知識で意味づけをしたくなる。因果で整理したくなる。しかしその瞬間、苦しむ人そのものではなく、「自分に理解できる物語」の方を守り始めてしまう。そして、苦しむ人を孤立させる。
『ヨブ記』からは、スピリチュアルケアの在り方を学ぶことができる。「七日七夜ただ黙って共に座る」これは、究極のスピリチュアルケアの姿であろう。何かを教えることも、意味づけをすることもなく、苦しみの前にただ共に在る。
そして同時に、実践者が落ちやすい落とし穴も示している。友人たちは、ヨブを救おうとするあまり、「苦しむ者をさらに孤独にする」という二次加害を生み出していった。