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「文化時報」コラム

〈126〉憎しみの連鎖を断つ

2026年7月9日

※文化時報2026年6月2日号の掲載記事です。

 服役中の元暴力団組員から「更生したいのでアドバイスがほしい」と連絡がありました。「あなたの想像以上に社会は変化しています。特に暴力・威嚇については厳しく対処されます」という内容の手紙を送りました。

 そんな折にプロ野球の現役監督が実娘に対する暴行容疑で現行犯逮捕されるというショッキングなニュースが飛び込んできました。ワイドショーや会員制交流サイト(SNS)ではこの話題で持ち切りになりました。暴力はいけないとしながらも監督を擁護する投稿も多数見受けられました。児童相談所や警察の対応についても、根拠不明な情報(?)も散乱していました。

 私の経験に限って申し上げますと、救急車を要請して警察が一緒に来ることはよくあります。それは、けがの場合です。高齢者や障害者の施設では利用者同士のトラブルあるいは職員による虐待・暴行が疑われるからです。

 警察から任意で事情を聞かれることもよくあります。だから児童相談所が警察へ通報することには何の違和感もありません。ただ、現行犯逮捕というのは仰天しました。「そんなことあるの?」と。

 個人が行う暴力や威嚇には厳しい制裁があります。刑事事件にならなくても、社会的制裁はかなり大きなものになることもあります。

 しかし、国家による暴力・威嚇はまかり通っているという矛盾を、子どもたちにどう説明すればいいのでしょうか? 暴力・威嚇は憎しみしか生まないということを伝えないといけない気がします。

 法然上人は夜討ちされ命を落とした父から「仇(かたき)討ちをしてはならぬ」と遺言されたそうです。仇討ちは憎しみの連鎖を生むだけと。現代でもなかなか受け入れがたい感覚でしょう。ましてや平安時代末期の話。親の仇を討たねば腰抜け扱いされ、下手すればさらに襲撃されるリスクもある社会において、その遺言はかなり深いものであったと想像できます。

 その遺言が後の浄土宗、浄土真宗へとつながり現代の私たちへと伝わっています。非常に大事な遺言でありました。

 暴力・威嚇は社会的に許されないというより、憎しみの連鎖となることを伝えるのが僧侶の役目かと思います。元暴力団組員へ伝わるでしょうか?

 

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