2026年4月23日
※文化時報2026年3月17日号の掲載記事です。
東日本大震災の被災者の思いに耳を傾けようと、曹洞宗通大寺(宮城県栗原市)の金田諦應住職が始めた傾聴移動喫茶「カフェデモンク」=用語解説=が今年で15年を迎える。震災発生から約2カ月後の2011(平成23)年5月に開始し、これまでに460回以上開催。2万人以上の声を受け止めてきた。金田住職にこれまでの15年間を振り返ってもらった。
15年もたつと、亡くなった人もいる。今年も誰かがいなくなるかもしれない。
24年と25年の3月11日は、宮城県石巻市の復興住宅集会所でカフェデモンクを開いた。よもやま話をしていても、地震発生時刻の午後2時46分の10分前になると、沈黙する。どうしても時間が巻き戻るのだ。
いろいろな場面が浮かんでくる。あの頃はどのような話を聞いても涙を流すことはなかったが、今、思い出すとなぜか涙が出てくる。年老いたせいだろうか。
新型コロナ禍のときは、誰も来なくても3月11日だけは必ず開催していた。コロナの制限がなくなった後の24年3月11日、久しぶりに皆で集まれた。「今日は一番悲しい日だけど、一番うれしい日だ」。そんな声が聞かれた。
25年は、能登半島地震の被災地と中継しながら開催した。皆が心を痛めていたからだ。会の締めくくりには「大丈夫」と記した紙を掲げた。この言葉が一番の贈り物だと思っている。

参加者の一人に、児童クラブで働く女性がいる。彼女は「カフェデモンクでの体験が今の仕事に役立っている」と話した。利用者の声に耳を傾けるうち、「和尚さんたちがしていたのは、こういうことだったのか」と感じるようになったという。
これまで夢中でやってきた。震災という非常事態が日常に移り変わろうとしていく中、「そうじゃないぞ」とあらがって続けてきたが、5年目に差しかかったとき、やめようと思ったことがあった。ちょうど人々が仮設住宅から復興住宅に移り住み始めたころだった。
被災者が自分たちの力で生きていくよう求められ、復興住宅の鉄の扉が閉まると、外と遮断されてしまった。そこから孤立や自死が一気に増えた。「金田さん、やめるんですか?」。そうした声もあって、続けることにした。
仮設住宅が閉鎖されるときに開いたカフェデモンクで、仮設住宅の自治会長の男性と会場の入り口の前で顔を突き合せたとき、お互いに何も言わず「はぁ~」と大きなため息をついた。あのため息の中に、震災後に私たちが歩んできた思いの全てが込められていた。
今年1月、東北地方で顕著な業績を挙げた個人・団体を顕彰する「河北文化賞」を受賞した。跡を残さず、風のように駆け抜けていくことを信条としてきたが、一輪の花を残すことになってしまった。
この賞の講評では、「臨床宗教的ケア」という言葉が注釈なしで用いられていた。私たちのたたずまいや姿勢をそのように捉えてくれたことは、臨床宗教的ケアが社会実装された証拠と実感した。
臨床宗教的ケアとは、一人の宗教者として震災と社会にどう向き合ったかの現れだ。宗教の教義を全面に出したケアではない。相手の前に出ず、後ろに下がらず、一緒に歩くことが大切だ。
被災者の皆さんが、私たちを苦にもせず、邪魔にもせず、そばに置いてくださったからこそ、この賞がある。
私はいろいろな人々の思い、温かい思いに動かされ、活動し続けてきた。だから自分自身を「道具」と考えている。道具だから、いつも整えていなければならない。自分自身を律して心を穏やかにし、いざというときに役立つようにしなければならない。
これまでに全国でいろいろな人に出会った。そして、それぞれの地方に特有の死生観があると感じている。だから、それぞれの地域での宗教活動が大切。私たちが活動できたのは、地元の宗教者として地道に活動してきたからだった。
私が他の地域で活動しても通用しない。だからこそ、地域のお寺がしっかりしていなければならない。

【用語解説】カフェデモンク(宗教全般)
2011(平成23)年の東日本大震災を機に始まった超宗派の宗教者による傾聴移動喫茶。コーヒーやスイーツを振る舞い、人々の心の声に耳を傾ける。曹洞宗通大寺住職の金田諦應氏が考案し、僧侶や修道士を意味する英語のモンク(monk)と文句、悶苦の語呂合わせで命名した。全国の災害被災地や緩和ケア病棟など14カ所に広がっている。