2026年8月20日
※文化時報2026年7月10日号の掲載記事です。
傾聴活動の訓練と実践を通じた自利利他を目指す僧侶有志でつくる「傾聴僧の会」は6月30日、浄土宗西山深草派総本山誓願寺(京都市中京区)で、「夏越(なごし)の祓(はらえ)シンポジウム―傾聴と僧侶」を開いた。同派宝樹寺(同市上京区)住職の石倉真明事務局長と佐々木閑花園大学教授が登壇し、傾聴と自我の関係性や、生きづらい人の受け皿としての仏教について語り合った。(大橋学修)

石倉事務局長は、2009(平成21)年5月に誓願寺で開かれた若手僧侶向けの研修「僧侶とグリーフケア」に参加したのを機に、傾聴を学び実践するようになったと説明。活動の中で気付いたのは「聞き手が心を動かされ、結果として話し手ではなく聞き手の援助になっていることだった」と明かした。
その上で「話し手と聞き手の境界がなくなり、話し手の語ることが自分のことのように思えてくる。これは援助論では収まらない。僧侶の本分は何かを問いながら傾聴することが大切だ」と呼びかけた。
佐々木教授は、仏教の本質は苦の原因である自我からの脱却であり、僧侶とは生命活動の根幹となっている自我を捨てる「疑似自殺者」であると指摘した。
また、仏教は生者と死者を同等の存在と捉え、生きることを称賛する社会通念と異なっているからこそ、自己実現が求められる社会で生きづらさを感じる人の受け皿になると解説した。その上で、「死ぬような思いを知る人が僧。さまざまな苦を感じ取る傾聴は、共感する力を養い、釈尊のような慈悲深さを得ることにつながる。傾聴は人のためにも、自分のためにもなる」と話した。