2026年8月24日
※文化時報2026年7月17日号の掲載記事です。
企業や公的機関の問い合わせ窓口から、電話が消えつつある。
代わりに使われているのが、メールやチャット、人工知能(AI)による自動応答だ。文章で記録を残せるため、業務の効率化に役立つ。10月から改正労働施策総合推進法が施行され、客からの理不尽な要求や著しい迷惑行為であるカスタマーハラスメント(カスハラ)対策が義務化されることも、その流れを後押ししている。

応対する人の尊厳や心身の安全を犠牲にしてまで、利用者の利便性を優先してはならない。だが、それが電話窓口の一律の縮小や廃止に結び付くなら、別の危機が見落とされてしまう。
IT機器の操作に不慣れな高齢者や緊急の対応が必要な人にとって、メールやチャットは壁になる。的確な文章を入力できる人だけが助けを求められる社会であっていいはずがない。
困り事や苦悩は、必ずしも整理された言葉で現れるわけではない。電話の声は、震えや息遣い、言いよどみや沈黙から感情を推し量れる。相手がいることを確かめ合い、ぬくもりを感じられる通信手段である。
宗教界は、その価値を知っている。一般社団法人仏教情報センター(東京都文京区)の「仏教テレフォン相談」は1983(昭和58)年の開始以来、超宗派の伝統仏教の僧侶たちが当番制で無料の電話相談に応じてきた。現在は135人が傾聴活動を行っている。
自死・自殺防止の相談窓口「いのちの電話」は、ドイツ人宣教師が中心となって71年に活動を始めた。ボランティア相談員は、絶望の淵にある人々のセーフティーネットになっている。生きる人を支えるという宗教の精神が体現されている。
カスハラは許されない行為であり、厳格に対処すべきだが、それを理由に生身の人間同士の対話そのものを放棄していては、社会の寛容性や共感力が一層弱まるのではないか。
企業や公的機関には、カスハラ対策を尽くした上で、電話窓口を最後のとりでとして残すことを求めたい。自動応答では問題が解決せず本当に困っている人たちに、相談を諦めさせてはならない。
地域の寺院や神社、教会は、その多くが電話番号を公開している。夜間の問い合わせや迷惑電話、場合によっては特殊詐欺被害のリスクがあることは否めない。宗教者本人は慣れていても、家族が不安になることもあるだろう。
それでも助けを求める人にとって、電話は命綱となり得ることを忘れてはならない。電話で応対する企業や公的機関が減る時代だからこそ、宗教施設は声を受け止める場であり続けたい。