2025年10月26日
東京都新宿区の「帰還者たちの記憶ミュージアム」(平和祈念展示資料館)は、太平洋戦争の様子や戦後のシベリア抑留、海外からの引き揚げの労苦を、さまざまな実物資料や映像、ジオラマなどで紹介している。今回は命懸けで娘たちを引き連れ、満州からの引き揚げを体験した母親の手記に基づく一人芝居を鑑賞するとともに、館内ツアーに参加した。(飯塚まりな)
戦後、日本に戻ってきた人々の中には、朝鮮半島や中国大陸、シベリアなど国外で過酷な生活を強いられた人が少なくない。満州では日本人155万人のうち、24万人は帰ることがかなわなかったと記録されている。
取材当日の8月23日は、戦後80年イベントとして一人芝居「花模様の着物を着て逝った芳子」(原作・大島一恵、『平和の礎』撰集5所収)を、俳優の榊原奈緒子さん(劇団キンダースペース)が上演した。

この作品は1945(昭和20)年8月9日、ソ連侵攻で混乱の中、4人の娘を育てる母親が、満州から日本に帰国するまでの苦難を描いている。貨物列車で逃げる間には、列車が止まるたびにソ連兵に脅され、若い女性たちは強姦(ごうかん)に遭い、衣類や装備品を容赦なく没収されるなど悲惨な目に遭っていた。
当時、引き揚げの途上で多くの子どもたちが麻疹(はしか)で亡くなった。その場で土葬しても、すぐに現地の人たちが掘り起こし、子どもが着ていた衣服を剝いでから裸で埋めた。そして4歳の芳子も、麻疹に感染し衰弱してしまう。
芳子は「一人でお花畑のある所へ行く」と言いのこし、息を引き取った。母親は小さな遺骨を抱いて引き揚げ船に乗り、日本の土を踏んだ。

資料や写真だけでは伝えきれない緊迫感が、俳優の演技や表情からにじみ出る。近年、満蒙開拓団の女性たちの労苦は証言や研究によって浮かび上がっているが、戦争体験の生々しい証言として見る者に衝撃を与えた。
上演後、解説員の守法美宣さんによる館内ツアーに参加した。
「兵士コーナー」では、1931(昭和6)年の満州事変から45年の太平洋戦争末期まで、軍隊生活の様子を感じることができる。 召集令状(赤紙)や出征兵士の軍服、当時の日誌など実物の資料を目にすることができる。

展示された軍服を見比べると、39年の段階では金属のボタンがあって生地もしっかりした素材が使われていたが、戦況悪化と物資不足により、粗末な素材へと変化していった様子を目の当たりにした。
「戦後強制抑留コーナー」には、過酷な労働と貧しい食事を強いられたラーゲリ(収容所)の展示物がある。与えられたパンを数人で分けるため、1ミリの狂いもないよう必死な形相で見つめる兵士たちの姿が、ジオラマで再現されていた。

特に目を引いたのは、兵士が作った手製のスプーン。ラーゲリでは労働の合間に、ものづくりを楽しんだ様子も記録されており、どれも整った形で輝いていた。文字が書かれたものや、女性の体をモチーフにしたものなど個性がある。
「スプーンには、日本に戻ったらおなかいっぱい食べてやるという思いが込められていたのです。寒さで固まったカーシャ(スープ)を削って食べるために、持ち手の部分が鋭くなっているのも特徴です」と守法さんは話していた。

「海外からの引き揚げコーナー」は、引き揚げ船の模型や引き揚げ証明書、子どもたちの様子などを再現した展示になっている。亡くなった子どもの布おむつで縫ったワンピースや、自決した遺体の中で生き延びた子どもの証言などが紹介されており、読むたびに胸が詰まった。
戦後80年となり、今では体験者の声を聞くことが難しい時代になった。帰還者たちの記憶ミュージアムは、今後も語り部の証言映像や演劇、音楽を通して、発信を続けていく予定だ。
ミュージアムの出入り口付近には、体験コーナーも設けられていた。
出征兵士の武運長久と無事の帰還を願って縫い付けた千人針に触れられるほか、兵士が背負っていたとされる10キロほどのリュックサックの重さを体感することもできる。実際には銃や弾薬など、装備品を含め30キロくらいの重量が体にかかったとされている。また、レプリカの軍服を着て写真撮影できるようにしており、来館者の記憶に残るよう工夫が施されている。
筆者もレプリカを着用してみた。多少の寒さは防げるものの、真冬の寒さでは到底耐えられないだろうと想像できた。帽子は現代のキャップより小ぶりで、革のあご紐が付いているため、多少の風では飛ばない構造になっていた。いずれにしても、この格好で戦うのかと思うだけで、戦場の厳しさを追体験できた。

学芸員マネージャーの加藤つむぎさんは、『平和の礎』撰集をまとめた一人だ。「過去の戦争が、いかに多くの人を傷つけたのか。体験者の方々の声に耳を澄ませて、一緒に考えてほしいのです」と力を込めた。
解説の中で守法さんが「命が消耗品になっていた」と言っていた言葉が、耳に残る。歴史を立体化して伝えるミュージアムの役割は、今後ますます大きくなるだろう。
新宿の高層ビルの一角で、戦争の記憶と真正面から向き合い、未来に何を語り継ぐのかを改めて考える機会になった。