※文化時報2025年2月28日号の掲載記事です。 2月20日、湖東記念病院事件で再審無罪となった西山美香さんが国(検察)と滋賀県(警察)に対し、違法な取り調べ、起訴などにより被った損害の賠償を求める国家賠償請求訴訟が結審した。2020年12月25日の提訴から4年あまりを経て、ようやく審理が終わったのである。…
2025年5月11日
※文化時報2025年2月14日号の掲載記事です。 2025年の年明けから1カ月余り、再審法改正に向けた国会、法務省双方の動きが加速する中、京都と東京を往復する頻度も右肩上がり状態となってきた。 …
2025年4月26日
※文化時報2025年1月31日号の掲載記事です。 タイトルの質問に、日本国憲法は41条でこう答えている。 「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」 …
2025年4月12日
※文化時報2025年1月17日号の掲載記事です。 この3年余り、多くの大切な人たちとの別れを経験してきた。2021年に夫、23年に母を送り、京都で独り暮らす身となった私に、お正月を一緒に過ごしましょう、と誘ってくれたのは、息子の妻・あさひの両親だった。 …
2025年3月31日
※文化時報2024年12月13日号の掲載記事です。 詩人の谷川俊太郎さんの訃報に接して前回のコラムを書いたのは11月21日のことだったが、まさにその日、刑事司法界の至宝ともいうべき人物がこの世を去っていた。8日後の29日、事務所に届いた1枚のファクス文書によって、その事実はもたらされた。 …
2025年3月15日
※文化時報2024年11月29日号の掲載記事です。 昭和、平成、令和の3時代を詩人として生きた谷川俊太郎さんが亡くなった。教科書に掲載され、誰もが子どものときに朗読した「朝のリレー」、反戦歌として知られる「死んだ男の残したものは」など、汲(く)めども尽きぬ泉のごとく湧き出る言葉を自在に操り、織りなした詩の数々は…
2025年2月21日
※文化時報2024年11月15日号の掲載記事です。 選挙前には「史上まれにみる激戦」と報じられていたアメリカ大統領選挙だったが、ふたを開けてみればそれほどの接戦ともならないまま早々とトランプ氏が勝利宣言を行った。マイノリティーや多様性を象徴する存在として、史上初の女性大統領を目指したハリス氏の夢は、かなうことな…
2025年1月31日
※文化時報2024年11月1日号の掲載記事です。 去る8月19日に再審法改正イベントのため福井を訪れたことについて、8月30日付本連載の第69回「春嶽の像の前で」で触れたが、その福井で起きた事件の再審請求で朗報が舞い込んできた。1986(昭和61)年に発生し、97(平成9)年に有罪が確定した福井女子中学生殺人事…
2025年1月11日
※文化時報2024年10月18日号の掲載記事です。 袴田事件=用語解説=の再審無罪判決が確定した。10月8日、私は東京から京都に向かう新幹線の車内で「検察官が控訴断念」の一報に接した。事件から58年、死刑確定から44年。無実でありながら、日々死刑執行の恐怖に晒された巖さんと、同じ年月を、人生の全てを懸けて弟を…
2024年12月12日
※文化時報2024年10月4日号の掲載記事です。 大崎事件で犯行を自白した3人の「共犯者」たちは、いずれも知的障害を抱えていた。今では「供述弱者」と呼ばれ、取調官に迎合しやすく、誘導されやすい、強く言われると抗(あらが)えない、といった特性のあることが知られている。のちに再審無罪となった足利事件の菅家利和さんや…
2024年11月27日
※文化時報2024年9月13日号の掲載記事です。 捜査機関の厳しい取り調べに屈して、やってもいない犯行を自供してしまう「虚偽自白」が、多くの冤罪(えんざい)事件の原因となっている。一方、同様に冤罪の原因となる「虚偽の供述」の中には、実際には関わっていない他者の関与を認めてしまうものもある。 …
2024年11月15日
※文化時報2024年8月30日号の掲載記事です。 袴田事件=用語解説=の再審公判の判決日まで、あと1カ月となった。無罪判決が出されることは間違いないが、事件から58年という気の遠くなるような年月を要した。無実の人を冤罪から救い出すための再審制度の不備が、これほど残酷な形で露呈した今こそ、ただちに再審法改正を実現…
2024年10月29日
※文化時報2024年8月9日号の掲載記事です。 1598(慶長3)年、豊臣秀吉は2度目の朝鮮出兵を敢行した。秀吉が重用した千利休によって武家社会で茶の湯文化が花開く中で、朝鮮で作陶された高麗茶碗に高い価値が認められていた。当時の日本には高麗茶碗と同じレベルの焼き物を作る技術がなかった。…
2024年10月17日
※文化時報2024年7月12日号の掲載記事です。 もう20年近く前のこと、鹿児島で弁護士になったばかりの私に、「早稲田大学校友会鹿児島県支部」から支部総会の案内状が送られてきた。1985(昭和60)年に早稲田大学を卒業してから、すでに20年余りが経過していた。学生時代を過ごした首都圏から遠く離れた鹿児島に移住し…
2024年10月5日