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「文化時報」コラム

〈61〉その如月の望月のころ

2024年6月25日 | 2024年8月7日更新

※文化時報2024年4月12日号の掲載記事です。

 昨年11月、「再審法改正旅芸人」として、福岡、長崎、熊本、東京と再審法改正の必要性を説く講演行脚を行っていた折に、東京で高校1年のときの同級生4人と再会し、盃を酌み交わしたことがあった。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 高校を卒業してから40年以上の歳月を経て再会した4人の同級生たちは、還暦を過ぎ、それぞれ大手商社や金融機関、宇宙開発ベンチャー企業などで重要な地位に就いていた。しかし、そういう社会的地位など全く関係なく、会った瞬間から16歳のクラスメート時代そのままにしゃべれるのが、同級生の不思議である。

 盃を重ね、話が弾む中で、隣に座っていたMくんが、実はステージ4の肺がんであることをそっと打ち明けた。2年前、ステージ4の大腸がんだった夫を自宅で看取った記憶がよみがえり、一瞬言葉を失った私に、Mくんは「まぁ、今日もこうやって元気に酒飲んでるぐらいだから、大丈夫」とほほ笑んで、他の3人の話の輪の中に戻って行った。

 一晩で終えるには、あまりに楽しい飲み会だったと、Mくんは自らLINEグループを作って、このときの5人をつないでくれた。

 年が明け、LINEグループで新年の挨拶を交わす中で、「今年も会えるといいな」「勿論会いますよ、セットするぜ!」と続いたメッセージに、Mくんは「楽しみにしてます!」とコメントし、楽しそうに躍っているウサギの絵文字も付けていた。

 4月2日、Mくんのフェイスブックの投稿を目にした私は、全身の血流が止まり、周囲の音が一瞬でかき消されたような感覚に襲われた。

 「【ご報告】令和6年3月27日未明に61歳で〇〇〇〇が永眠いたしました。葬儀は故人の遺志により近親者のみにて執り行いましたことをご報告申し上げます。 

 生前のご厚意にこの場をお借りして深く感謝いたします。もしもの時にはフェイスブックにて知らせて欲しい旨頼まれておりましたので投稿させていただきました。家族一同」

 2度目の再会を約束したMくんが、その約束を果たせないまま旅立ってしまったことに呆然としながら、私は彼のフェイスブックのページをスクロールし続けた。2020年に激務の中で肺がんを発症したこと、初孫が生まれた喜びと、直後のがん再発。還暦最後の4日間に屋久島の縄文杉を訪れたこと、そして、転移と再発―。最後にアップされていた写真は、私たちの飲み会でサムズアップする姿だった。

 自分の死期が近いことを悟り、家族にSNSでの告知を託していたMくん。家族による「永眠報告」のあと、小・中・高校、大学、職場のそれぞれで彼とともに過ごした友人からのコメントが途切れることなく続いている。SNS時代の「自分の人生のしまい方」を教えられたように思えた。

 Mくんの訃報と桜の便りが重なった今年の春。

 「願わくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」

 西行が望んだように、彼もまた、この時期に旅立つことを願ったのだろうか。

 

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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