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「文化時報」コラム

〈52〉「ガラスの天井」打ち破れ!

2024年1月2日 | 2024年8月7日更新

※文化時報2023年11月10日号の掲載記事です。

 去る10月11日、私は京都女子大学に招かれて、「ジェンダーの光で照らす冤罪(えんざい)問題~女性冤罪被害者の女性弁護人として~」というタイトルで講演した。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 京都女子大学は、日本で唯一の、法学部を擁する女子大学である。法学部のパンフレットには「本来の自分を研ぎだし、新たな社会を切りひらく」「ジェンダー法学を体系的に学べるオンリーワンの法学部」という文字が躍っている。

 私の講演は、「女子大唯一の法学部」のブランディングを図る京都女子大学が、学生にも自ら社会を切り開く気概と誇りを持ってほしい、と企画したものだった。

 そのような先方のオーダーにお応えできたかどうかは定かでないが、弁護士になるまでの道のりや、大崎事件との関わりの中で、冤罪をジェンダーの視点から考えることの必要性について語った。

 京都女子大学の属する学校法人京都女子学園の歴史は、124年前、西本願寺の高僧の娘である甲斐和里子が創立した「顕道女学院」にさかのぼる。その後、和里子が夫とともに開設した文中園が西本願寺の援助を受け、1910(明治43)年、私立京都高等女学校となった。

 12年、西本願寺・仏教婦人会連合本部長の九條武子が「女子大学設立趣意書」を発表、西本願寺も後援したが、当時の男尊女卑の風潮は女子大学設立を許さなかった。それでも武子をはじめとする女性たちの尽力により、20(大正9)年、日本初の女子高等専門学校の設立が認可され、「京都女子高等専門学校」は優れた人材を世に送り出した。

 第2次世界大戦後の学制改革により、武子の設立趣意書から37年後の49(昭和24)年、悲願の女子大学として設立されたのが、現在の京都女子大学である。

 「ガラスの天井」という言葉がある。女性が十分な素質や実績を持つにもかかわらず、所属する組織での昇進が制限されるという見えない障壁を意味する。86年に米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが、ビジネス社会における女性の昇進の厳しさを特集した際にも、この表現が使われた。

 確かに、女性が活躍する組織や社会の実現のために先輩たちが味わった艱難辛苦(かんなんしんく)は、想像するに余りある。

 一方で、女性たちが自らの限界を、他ならぬ自分自身で線引きしてしまったことはなかっただろうか。

 講演の最後、私は学生たちに、「子育て中の普通の主婦が司法試験を受けたいなんて言ったら、周りに止められると思うけど、家族が止めなかったおかげで今の自分がいる。だから『私には無理』なんて自分にリミッターをかけずに、道を切り開いてほしい」とエールを送った。

 まずは、それぞれの心の中にある「ガラスの天井」を打ち破ることから、である。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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