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「文化時報」コラム

〈80〉僧侶は身近な存在か?

2024年7月23日 | 2024年10月2日更新

※文化時報2024年5月14日号の掲載記事です。

 「風が吹いても痛い」とはよくいったものである。連休終盤に足の親指の付け根あたりが赤く腫れてきた。連休明けの火曜日朝は靴が履けないくらいの痛みがあった。

 足を引きずりながらやっとの思いで職場まで来た。職場には看護師が何人もいる。激痛に耐えながら歩いている姿を見逃してくれるはずもなかった。

 「すぐに病院へ行ってください」と叱咤(しった)され、近くのクリニックへ向かった。もちろん「痛風」と診断され、痛み止めと湿布薬を処方された。自分のことになるとなかなか病院へ行かない。でも、こうして看護師から強く促されてやっと行くようなありさまである。

 先日、同じような看護師を見つけた。救急車を呼んでも不思議ではないくらいの大けがを負いながら、病院へ行こうとしない。それにはたまげた。周りにいた人間が無理やり引っ張って行って受診した。もう少し遅くなっていたら指が欠損していたかも、という状態らしかった。

 後日その看護師が言った。「少しくらい短くなっても仕事はできる」と。自分のこととなると病院へ行きたがらない人が他にもいたことに、親近感を持ってしまった。けっして良いこととは思わないが。

 これだけ近くに看護師がいると、何かと安心である。健康相談が気軽にできる。生活習慣病の予防から薬の効用までいろいろ教えてくれる。身近というのがありがたい。実はこれは僧侶にもいえることである。

 筆者のところには「仏事」に関する質問がたびたびある。葬儀、年忌法要、お墓、お仏壇…などなど。「そんなのお手つぎ寺(菩提(ぼだい)寺)に尋ねりゃいいのに」と思われる方も多いだろう。「身近にいる僧侶」というのがポイントかもしれない。

 仮にお手つぎ寺が身近な存在ではないとしたら―。現代の仏教界の課題かもしれない。「病院へ行ってください」と叱咤する看護師と同じように「法要はしてください」と言える僧侶になれるだろうか?

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