2025年12月10日
※文化時報2025年10月14日号の掲載記事です。
娘のお見合いの席に裃(かみしも)姿に丁髷(ちょんまげ)で登場した父と祖父。明治維新後も時代に取り残されたままの没落士族をコミカルに描いたNHK連続テレビ小説「ばけばけ」のワンシーンです。

「士族の商法」という言葉は、不慣れなことをして失敗するたとえを表しています。そして、気位ばかり高い人の実務能力の低さを皮肉る用法もあるでしょう。
明治維新から150年以上が過ぎた現在でも、昔のことと笑えるでしょうか?
先日より文化時報福祉仏教入門講座の第8期が始まりました。第1講で「医療との連携で葬儀を勧誘してはならないという倫理観についてどう思うか?」という質問がありました。私には「商人のまねなどできるか」と激怒する没落士族の姿と重なりました。宗教者自身が布教を禁ずるおかしな倫理規定を作るグループに合わせてはいられないのです。
この原稿を書いている同じ日に、ある相談者と一緒に相談者の母が入院する医療機関へ行きました。それが条件ではありませんが、この流れで葬儀までつないでいきます。いわゆる在家出身で寺もなく檀家もない僧侶の仏教活動です。この母娘に「生まれたものは必ず命終わる時がくる」という自然の摂理を伝えるのが私の仕事だと思っています。
看護師さんとの飲み会で意気投合するキーワードがあります。「親は死なない」と思っている人が多いことです。看護師さんたちは相手のためを思っていろいろな提案をします。それは最期の時が近いという前提です。ですが「親は死なない」と思っている人にはどれだけ丁寧に説明しても理解してもらえないのです。それどころか「この病院はダメだ」と悪口を言われたりします。
そんな状況を察して患者さんや家族さんに「生まれたものは必ず命終わる時がくる」と諭してくれる僧侶がいたら、それはありがたく思われます。その真理を伝える代償に「お布施」を頂いているのです。噓(うそ)だと思われる御仁は、内科か訪問の看護師さんに尋ねてみてください。