2026年2月25日
※文化時報2026年1月13日号の掲載記事です。
大みそかに葬儀がありました。葬儀ホールのスタッフさんから「式中初七日でお願いします」と言われたので承知しました。そして儀式を始める前に、喪家さんや参列者の皆さんには少し説明をいたしました。

枕経、通夜勤行、葬儀式、告別式、還骨法要、初七日法要などそれぞれ意味があります。その意味が伝わっていないので、同じようなことを何度も繰り返しているように見えるのでしょう。それなら一緒にやってしまえばよいという一見すると合理的な考え方のように思えます。
現代人は何かと慌ただしいので、省くものはあってもいいでしょう。
しかしながら、近親者の命終を機縁にして仏様の願いに出遇(であ)っていくという意味は忘れないでほしいのです。そのようなことをお伝えしました。
「どうせ死ぬのになぜ生まれてきたのか?」。人間の生き死には合理的ではありません。多くの人は、子孫を残すという身体の機能が廃れたあとも、何十年も生きることになります。食事や排泄(はいせつ)もひとりではできなくなり、ベッドに寝たまま何年も生きることになるかもしれません。
「そんなの嫌だ」と省略しますか?
かつては、葬儀のあとも僧侶が喪家にかかわる機会は多くありました。それが徐々に少なくなっています。葬儀は行っても僧侶が何かを伝える時間はほんのわずかになっています。それどころか、そのわずかな機会さえなくなろうとしています。
だからこそ、葬儀の前から、介護が必要になった時からかかわる機会を増やさないといけないと思うのです。老病死が他人事のうちはダメです。単なる仏教知識の伝達になってしまいます。介護の現場は本人も家族も思い悩むことが多いのです。この機会だと思います。
ちなみに、冒頭の故人さまは施設入所されてから十数年、施設内で行われる仏事には積極的に参加されていました。その延長線上の葬儀です。遺されたご家族さんにも多くのものが伝わったと思います。その上での「式中初七日を承知しました」であります。