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「文化時報」コラム

〈62〉満足しているのは…

2024年7月5日 | 2024年8月5日更新

※文化時報2024年4月19日号の掲載記事です。

 決して屁理屈(へりくつ)をこねるつもりはありません。われながら、少々ねじ曲がった捉え方をしてしまっているのではないか…ということも自覚しています。でも、どうしてだか、モヤモヤしているのです。

傾聴ーいのちの叫び

 その方は、緩和ケアの第一人者で、長い年月、余命いくばくもない方々のケアに関わってこられました。「患者さんの笑顔が見たい」。それが、全てのモチベーションになっているそうです。

 その活動の中の一場面としてご紹介くださったのが、にぎやかな音楽をかけて、これまた派手な衣装をお召しになって踊る、お楽しみ会の様子でした。患者さんは、車いすや、中にはベッドに寝たまま、ホールに集まっています。患者さんに同伴する看護師も、ご本人も、満面の笑みでとても楽しそうでした。

 月に1回のこのイベントが終了した後は、慰労会と称して、スタッフ間交流も兼ねた反省会兼飲み会となるそうです。「それも、大切な楽しみの一つなんですよね」と。

 夜も深まり反省会がはねたら、きっとこんなふうに言うんでしょうね。「それじゃ、また来月!」「ええ、また来月も頑張りましょう!」

 その来月に、今日ホールに集まってくださった患者さんのうちの、何人が参加できるのでしょう。

 お楽しみ会が終わって夜が来たとき、笑わせた人たちは大いに飲んで、食べて、来月の約束をする。笑わせられた患者さんたちは、独り静かにベッドに沈み込む。

 そういうもんですよね。人生って。きっと、そういうもんなんだと思います。「いちばん満足しているのは誰なんだろう」などと、ひねくれた見方をしてはいけないのです。

 夜寝る時、「ああ、今日は楽しかった~」と言って眠りにつけるのは、無意識のうちに「また」を信じているからかもしれません。もう二度と、今日の楽しみを味わうことがないと自覚したとき、私は、「楽しかった~」と言いつつも、涙を流しながら眠りに落ちるような気がするのです。

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