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「文化時報」コラム

〈51〉「継承」する人々(下)

2023年12月16日

※文化時報2023年10月27日号の掲載記事です。

 「松川事件無罪確定60周年記念全国集会」で記念講演を行うために福島大学に赴いた私は、控室で福島大学の松川資料室の関係者、松川事件の元弁護人や支援者と顔合わせを行った。

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 ご高齢の方が多く、90歳を超えた方も複数いらっしゃったが、世紀の冤罪(えんざい)事件が5度の裁判を経て全員無罪に至るまでの活動の記憶は鮮明で、さまざまな裏話を興味深く聞かせていただいた。とはいえ、20人の元被告人はすでに全員が鬼籍に入り、松川事件の教訓を若い世代に継承できるかという危機感も垣間見えた。

 被告人のうち最後の存命者だった阿部市次さんは昨年10月、99歳で亡くなった。事件当時27歳、1審で死刑、控訴審でも無期懲役を言い渡され、その後無罪となった。冤罪のない社会の実現を目指し、96歳になるまで松川事件の「語り部」として精力的に活動していたという。

 くだんの顔合わせで、私は穏やかにとつとつと当時の経験を語る88歳の女性の話に引き込まれた。亡き夫に代わって駆け付けた阿部さんの妻、マサヱさんだった。

 マサヱさんは滋賀県日野町出身。高校2年生のときにラジオのニュースで松川事件を知ったそうだ。高校のホームルームで「事件は全部うそだから」と同級生に呼びかけたところ、校長に呼び出され、「政治的な話はしないように」と長時間、説教されたという。

 高校卒業後、看護師になったマサヱさんは、職場の組合が関わっていた松川事件の支援活動に加わり、やがて被告人の阿部市次さんと出会い、結婚した。滋賀県から遠く離れた福島で、冤罪救済活動に明け暮れる家族を、働きづめで経済的に支えた。無罪となった後も生活の補償はなく、苦しかったと振り返り、「冤罪は本人だけでなく、家族の人生も狂わせる。若い世代に関心を持ってほしい」と記者会見で訴えた。

 私はマサヱさんに、彼女の故郷滋賀で起きた二つの再審事件である日野町事件と湖東事件の現状を伝えた。松川事件の後も冤罪がなくならないことに、マサヱさんは心を痛めていた。

 記念講演の最後、私は松川事件の現場近くに立つ「松川の塔」に刻まれた「人民が力を結集すると如何(いか)に強力になるか」という言葉を引用し、「時を超えてもう一度力を結集し、再審法改正の実現に力を貸していただきたい」と呼びかけた。福島出身の亡き夫の兄夫婦と娘たち、さらに兄の孫たちも講演を聞きに来てくれた。

 松川事件で無罪を勝ち取った活動のノウハウとエネルギーが、奔流となって再審法改正の世論に流れ込むとき、新たな「継承」が実現する―。私は福島の地で、確かにバトンを受け取った。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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