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「文化時報」コラム

〈60〉ベレー帽の大先輩

2024年6月3日

※文化時報2024年3月29日号の掲載記事です。

 4月からのNHK連続テレビ小説「虎に翼」が始まるのを心待ちにしている。

 主人公のモデルとなっているのは、日本初の女性弁護士の一人で、のちに日本初の女性判事となった三淵嘉子さんである(旧姓は「武藤」だが、本稿では「三淵」と表記する)。三淵さんは、銀行員として海外勤務経験を持つ開明的な父親に、幼い頃から「ただ普通のお嫁さんになる女にはなるな。男と同じように政治でも、経済でも理解できるようになれ。それには何か専門の仕事をもつための勉強をしなさい。医者や弁護士はどうか」と言われて育ったという。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 当時の弁護士法では、弁護士の資格を取得できるのは「日本臣民ニシテ(中略)成年以上ノ男子タルコト」と定められていた。

 しかし、三淵さんが女子師範学校を卒業し、法律を学びたいと考え始めた時期に、弁護士法が改正され、女性にも門戸が開かれることになった。この改正を見越して設立された明治大学専門部女子部法科を経て明治大学法学部に進んだ三淵さんは、大学を卒業した年の11月に、高等文官試験司法科(現在の司法試験)に初めて合格した女性3人のうちの一人となった。

 ところが、弁護士登録直後に第2次世界大戦に突入。戦後まもなく夫を失った三淵さんは、新憲法の下で男女平等となった日本で経済的にも自立すべく、司法省に対し、自らを裁判官として採用するよう直訴した。このとき、裁判官としての採用は見送られたが、三淵さんは司法省の職員として採用され、民法改正や家事審判法の制定に関わった。

 2年後に裁判官任官を認められた三淵さんは、家事事件と少年事件のみを扱う新しい裁判所として設置されることになった家庭裁判所の立ち上げに貢献した。その奮闘ぶりは、家庭裁判所の黎明(れいめい)期を伝える清永聡著『家庭裁判所物語』に、鮮やかに描かれている。

 その後、女性初の家裁所長となった三淵さんには、キャリアにいつも「女性初」がついて回った。

 道を切り開く人生が容易でなかったことは想像に難くない。しかし、三淵さんの真価は「女性初」という点にあるのではない。紛争を勝ち負けで解決する民事裁判とは異なり、家庭に問題を抱えて悩み苦しむ人々に寄り添い、非行を働いてしまった少年自身が立ち直りへの一歩を踏み出すのを後押しする場所としての家庭裁判所の意義を求め続けたところにある。

 三淵さんが横浜家裁を定年退官したときのニュース動画が残っている。名残を惜しむ職員たちに笑顔であいさつする三淵さんは、赤いベレー帽をかぶっていた。

 果たして、ドラマ「虎に翼」のヒロインのベレー帽姿は登場するだろうか。人知れず期待する早春である。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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