2023年11月11日 | 2024年8月7日更新
※文化時報2023年9月8日号の掲載記事です。
前回、8月12日に旅立った母との「わかれ」を書いたばかりなのに、続編を書かなければならなくなった。本連載の第27回「不運だけど不幸じゃない」で紹介した桜井昌司さんである。
桜井さんは、1967(昭和42)年に茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件「布川事件」の犯人とされ、無期懲役の判決を受けて29年の獄中生活を送ったが、事件発生から44年後、再審無罪を勝ち取った。その後、自分を無実の罪に陥れた警察・検察の責任を追及すべく国家賠償請求訴訟を提起し、国(検察)と県(警察)の双方に勝訴、「完全勝利」が確定した。
その冤罪(えんざい)体験を「不運だけど不幸じゃない」と言い切り、全国の冤罪被害者の元を訪れて激励し続けた。いつも明るく前向きで、絶妙の話術や、自作の歌を朗々と歌うハスキーボイスで聴く者を魅了し、周囲に笑いと活力、希望を与え続けた桜井さんは、まさに唯一無二の存在だった。
4年前にステージ4の直腸がんに侵されていることが判明し、余命1年と宣告されてからも、その明るさは曇るどころかますます輝きを増した。
医師も驚くほどの回復を見せた桜井さんだったが、今年の4月以降は痛みで活動がままならず、ついに8月23日、帰らぬ人となった。
「巨星落つ」の報に、再審法改正の実現に向けて共に闘う「同志」を失った私は激しく動揺し、鬱々(うつうつ)とした気持ちで葬儀に赴いた。
水戸駅に着くと、タクシー乗り場には喪服を着て斎場を目指す行列ができていた。斎場に着くと、明るい色の花々で彩られた祭壇の真ん中に、かつて彼が自由を求めて見上げた青空をバックに、爽やかに笑う桜井さんの遺影があった。おびただしい数の弔電、どこまでも続く焼香の列の長さが、生前の桜井さんの魅力と影響力を物語っていた。
参列者全員に、受付で配布されたものが二つあった。一つは振り仮名付きの般若心経。彼の菩提(ぼだい)寺だった真言宗豊山派徳満寺から提供されたものだ。参列者全員が声を合わせて読経した後、ご住職は桜井さんの人となりを、分かりやすい言葉で語り掛ける法話を行った。
配布されたもう一つは、「オレは幸せ者です。みなさんありがとう」と書かれた、桜井さんの人生の「記念日」が記された年表だった。
裏表紙には、彼の作った歌の歌詞が印刷されていた。その「ゆらゆら春」という歌を、焼香の後に全員で万感の想(おも)いを込めて合唱した。
妻の恵子さんが、喪主の挨拶で明かした桜井さんの最後の日々は想像以上に壮絶なものだったが、恵子さんの表情は穏やかだった。桜井さんが「生き切った」ことを知っているからだろう。
気が付けば、私の心から鉛のような重さが消えていた。桜井さんは、爽やかな風が吹き抜けたような「わかれ」を、葬儀に参列した人々にプレゼントしてくれたのだった。
【用語解説】大崎事件
1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。