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「文化時報」コラム

〈57〉「江戸詰め」に思う

2024年3月20日

※文化時報2024年2月9日号の掲載記事です。

 鹿児島から京都に移り住んで3度目の冬を迎えた。1年目は南国鹿児島との気温のギャップにおののき、「私はこの土地で冬を越せるのだろうか」と不安を募らせたが、3度目の今年は暖冬だからなのか、私自身が寒さへの耐性がついたからなのか、あまり寒さを感じない。というより、寒さを実感するほどの日数を京都で過ごしていない、というのが正直なところかもしれない。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 全国各地を巡り再審法改正の必要性を講演して回る「再審法改正旅芸人」の仕事は、47都道府県をほぼ制覇してひと段落したが、いよいよ「本丸」である国会や政府に直接働きかけるロビー活動が佳境を迎え、昨年12月は京都―東京間を11往復、先月は仕事始めから実質的に3週間程度であったにもかかわらず、8往復した。そしてついに今月から4月まで、マンスリーマンションを借りて、東京に常駐することになった。3カ月の「江戸詰め」である。

 今年は、極寒の京都で雪景色の幽玄に浸ることも、美しく咲き乱れる京都の桜を愛(め)でることもできないと思うと、寂しくてならない。

 しかし、泣きごとを言っている場合ではない。早ければ8月に袴田事件の再審無罪判決が言い渡される見込みとなり、そのときに間違いなく、再審法改正に向けた世論の高まりが「最大瞬間風速」を迎えるだろう。今からそこを目指す一直線のレールを敷設する設計図作り、資材の調達、地固め、整地を、まさに今、突貫工事でやらなければならないのだ。

 75年間、一度も改正されなかった再審のルールを、今年変えることができれば、それはわが国の刑事司法の歴史の輝かしい1ページとなるだろう。

 私の脳裏に、幕末の激動期に京都へ、そして江戸に上り、明治維新をもたらした薩摩の志士たちの姿が浮かんだ。江戸住まいが長かった島津斉彬はともかく、「地ゴロ」(田舎侍)だった西郷隆盛や大久保利通、そして精忠組の志士たちにとって、天皇のおわす京都や、将軍のお膝元の江戸は、遥(はる)かに遠い別世界のような存在だっただろう。

 しかし、幕藩政治を変えなければという熱い志に突き動かされ、彼らは頻繁に京と江戸を往来することになった。

 藩命に背いて突出した有村次左衛門が首を落とした井伊直弼の江戸屋敷は、私が再審法改正を説いた某政党との朝食会の会場、ホテルニューオータニ東京のあたりにあった。有馬新七らが上意討ちで絶命した寺田屋は、私の住む伏見にある。この3年、鹿児島、京都、東京をめまぐるしく移動する私の内にも、彼らに近いパッションがある。

 法改正が実現したら、伏見に戻り、寺田屋事件の志士たちが眠る大黒寺に報告に行きたい。そこには本コラム29回(2022年11月11日号)で触れた、宝暦治水に殉じた平田靱負(ゆきえ)の墓もある。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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