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「文化時報」コラム

㉙薩摩義士がつないだ縁(えにし)

2023年4月18日

※文化時報2022年11月11日号の掲載記事です。

 日弁連に再審法改正実現本部が設置されてはや5カ月。全国の弁護士会が、この問題について広く世論に訴えるためにさまざまなイベントを企画し、実現本部の本部長代行を務める私も、講演やパネリストとして登壇する機会が多くなった。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 もっとも、再審の問題に、全ての弁護士会が同じように知識、関心を持っているわけではない。弁護士会の中には、まず自分たちが再審事件の現状や法改正の必要性について理解を深めるべく、会内で研修を行おう、というものもある。

 その、「会内研修」を企画した岐阜県弁護士会に招かれ、過日、岐阜市に赴いた。岐阜では(幸いにも)これまでに重大な冤罪(えんざい)事件は起こっていないという。私のこれまでの人生で岐阜にはほとんど縁がなく、知り合いの同業者もいない。遠い鹿児島の「大崎事件」を紹介し、再審制度の理不尽な現状について講義を行ったとしても、果たしてわが事のように共感してもらえるだろうか。内心不安だった。

 しかし、研修に参加した岐阜の弁護士たちは、大崎事件の経緯に驚いたり、法改正の必要性に大きくうなずいたりしながら、熱心に私の話を聞いてくれた。閉会のあいさつに立った弁護士会長は「当会は大崎第4次請求審の棄却決定に対し、抗議の会長声明を出したが、その時は、まだ本当の意味で再審の深刻な問題を分かっていなかった。今回の講義で非常に深いところで理解できたので、これから岐阜県弁護士会でもこの問題に取り組んでいきたい」と決意表明してくれた。

 終了後の懇親会では、地元の銘酒と郷土料理でもてなしを受け、岐阜の弁護士たちと旧知の間柄のように語らい、盛り上がった。その中で話題に上ったのが「宝暦治水」だった。

 幕府が薩摩藩の勢力をそぐため、莫大(ばくだい)な費用と労力のかかる木曽三川の治水工事を命じ、薩摩藩の武士たちは数々の困難や、あからさまな幕府の冷遇を乗り越え、多くの犠牲を出しながらも工事を完成させた。総奉行の平田靱負(ゆきえ)は工事完成を見届けた後、全ての責任を取って自刃した。

 岐阜の弁護士たちは子どもの頃、学校で郷土史としてこの悲劇を繰り返し学んできたという。見ず知らずの土地の民を洪水から救った薩摩義士たちが、268年の時を経て、鹿児島の大崎事件と岐阜県弁護士会をつなぐ後押しをしてくれたような思いがした。

 靱負の墓所は、薩摩藩の菩提(ぼだい)寺である京都・伏見の大黒寺にある。鹿児島から京都に移った私の自宅のすぐそばである。岐阜との縁(えにし)ができたことを報告しに、近々お参りに訪れたい。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁で審理が行われている。

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