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「文化時報」コラム

〈58〉袴田事件とカトリック教会

2024年4月13日 | 2024年10月6日更新

※文化時報2024年2月23日号の掲載記事です。

 2月15日、カトリック中央協議会の招きを受け、その最高意思決定機関である司教総会「司教の集い」で講演する機会を得た。

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 カトリック中央協議会は日本のカトリック教会・修道会を包括する宗教法人で、長きにわたり袴田事件の袴田巖さんの支援活動を行っている。

 巖さんは死刑囚となってから獄中でカトリックの洗礼を受け、「パウロ」という洗礼名をもつ。1989(平成元)年、巖さんはカトリック教会の支援者に次のようなメッセージを送っている。

 「皆さんの集まりは、私を闇から光へ導く力を持っている。日弁連の補充書、十万人を説得し署名を集める、日常的な創造的実践運動、これらは再審の早期開始と、私を無罪釈放に導く力です。私はこれらの力の高まりを日夜祈っておりそして感謝しております。私も21年間獄中の苦しみを耐えて参りました。全ての支援の人々、キリスト者の兄弟姉妹達、皆さんに支えられながら私は最后(さいご)の血の一滴まで闘い抜きます」―。

 このメッセージを受けたカトリック教会は袴田さんの再審開始、再審無罪を求める請願署名活動を展開、91年からはジュネーブの国連人権委員会に赴いてロビー活動を行い、国際署名も開始した。これまでに集められた署名の累計は、海外からのものも含め15万筆を超えている。

 このように巖さんとの関わりの深いカトリック教会が、袴田事件の再審無罪判決が確実視されるこのタイミングで、改めて死刑と再審の問題を学びたいと講演を依頼してきたのだ。袴田事件を通して宗教者の立場から死刑廃止を訴えてきたが、日本ではなかなか死刑廃止への賛同が進まず、学びから活動のヒントを得たい、との思いもあったという。

 そこで私は、神の前で人は全て平等であり、人の命を左右できるのは神のみ、というキリスト者の価値観とは違う角度から、日本における死刑再審事件のリアルや、冤罪被害者を迅速に救うためにはまず再審法を改正すべきこと、死刑の選択に判断者の裁量が介在する現実などを、具体的事例を挙げてお話しさせていただいた。

 17人の司教全員が、私の話に熱心に耳を傾け、その後の質疑応答でも活発な意見交換が行われた。

 死刑冤罪の存在は、それだけで死刑制度の根幹を揺るがすことは言うまでもない。しかし、仮に冤罪が根絶されたとしても、死刑制度は廃止されなければならないと、私は考えている。

 被害者感情や応報感情から「人を殺した以上、死をもって償うのは当然」と決めつける前に、死刑制度のありようについて、一般市民にもさまざまな角度から考えてもらうために、宗教者との協働の必要性を強く感じた今回の経験だった。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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