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「文化時報」コラム

〈59〉藤沢の夜

2024年5月8日

※文化時報2024年3月8日号の掲載記事です。

 冤罪(えんざい)被害者を速やかに救済するためには、再審制度そのものを変える必要があると痛感して、日弁連に「再審における証拠開示に関する特別部会」を立ち上げ、活動を始めてから10年になろうとしている。それ以来、公私ともに激動の日々を過ごしてきた。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 特に、大崎事件第3次再審で地裁と高裁が重ねた再審開始決定を最高裁が取り消した2019年からの5年間で、私は夫と母を相次いで亡くし、鹿児島の事務所を閉じて京都の事務所に移籍、住まいも京都に定めた。

 一昨年からは再審法改正実現本部の本部長代行として全国各地を講演し、地方議会や各種団体、そして「本丸」である国会へのロビー活動を重ねてきた。この2月からは、国会に向けた働きかけに専心するため、マンスリーマンションを借りて「江戸詰め」の状態である。

 そのような年月を経て、2月29日のNHKニュース「おはよう日本」で、法改正を含めた再審制度の在り方を検討する国会の超党派による議員連盟が発足する、とのニュースが報じられた。10年前は政治家や一般市民はおろか、同業者にもあまり知られていなかったこの問題が、ようやくここまで来たと思うと、感無量である。

 しかしその一方で、もともとは横浜・鎌倉で育った自分が鹿児島、京都、東京と住居を転々とする中で、多くの親しい人々と没交渉になってしまった寂しさにも襲われた。

 NHKのニュースから2日後、そんな私に思いがけない夜が訪れた。母校で神奈川県藤沢市にある県立湘南高校の、卒業時のクラス同窓会である。

 このクラスの担任だった恩師は、われわれの卒業と同時に北海道の男性と結婚し、かの地で家庭を築いた。遠い北国で暮らす恩師とは年賀状をやりとりする程度だったが、くだんの大崎事件第3次再審が最高裁に取り消されたときは、激励のメールを送ってくれた。北海道新聞に私のインタビュー記事が掲載されたときは、その日のうちに電話をくださった。

 その恩師が、故郷の藤沢に帰ってきた貴重な機会に、当時のクラスメート22人が参集したのである。

 高校卒業からすでに43年、7人が故人となった。遠く離れた鹿児島で30年暮らしたこともあり、ほとんどの同級生と疎遠になっていた。

 しかし、ご無沙汰続きだったクラスメートたちから口々に「テレビで見ているよ。ずっと応援してるから」と声をかけられ、胸が熱くなった。18歳のときとは名字も姿も違う私を、新聞記事やニュース画像で追っていてくれたのだ。

 藤沢には、一遍上人を宗祖とする時宗の総本山遊行寺(藤澤山無量光院清浄光寺)がある。四国の伊予に生まれた一遍上人は、熊野、九州、信州、東北を旅し、教えを広めた。信念を胸に抱き、諸国をさすらい、道を説く姿に、思いが重なる。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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