2025年7月26日
※文化時報2025年3月28日号の掲載記事です。
医療費が高くなった場合に患者の負担を抑える高額療養費制度について、石破茂首相が自己負担上限額の引き上げを見送ると表明した。今年秋までに改めて方針を決めるという。命に関わる問題であり、宗教者は制度を守るよう声を上げるべきだ。

高額療養費制度は、大きな手術や高い薬によって窓口で支払った医療費が上限額を超えた場合、超過分が払い戻される仕組みだ。どんな人でも必要な医療を受けられるよう、上限額は所得に応じて決められている。
政府は昨年末に改革案をまとめ、自己負担上限額を2025年8月から27年8月にかけて段階的に引き上げることにした。その後、がんや難病の患者団体などから反発を受け、2度にわたって修正した末に、石破首相が引き上げをいったん全面凍結すると判断した。
制度改革の一部を反映させた25年度当初予算案が衆院を通過した後だったことから、一般紙は「場当たり的な対応」(西日本新聞13日付社説)と石破首相を批判し、「指導力に疑問符が付いた」(読売新聞8日付3面)と指摘した。
だが、患者に負担を強いる形で改革を強行するよりは、はるかにましである。政権の内情はどうあれ、決断は決断として評価したい。
今回の改革案は、厚生労働省が患者の意見を十分聞かずに取りまとめていた。障害者権利条約の原点で、障害福祉に限らず支援の現場では常識となっているスローガン「Nothing About Us Without Us」(私たちのことを、私たち抜きに決めないで)に反しており、丁寧さを欠いた立案だった。
深刻なのは、そもそも少子化対策の財源確保が目的だったことである。
23年末に当時の岸田文雄首相が打ち出した「こども未来戦略」は、少子化対策の拡充に約3兆6千億円の財源を確保するとうたい、このうち約1兆1千億円を社会保障の歳出削減で捻出するとしていた。削減の対象の一つとして俎上に載せられたのが、高額療養費制度だったというわけだ。
そこに、若くて健康な命の方が大切で、老いて病んだ命は後回しにしていいという発想はなかったか。「現役世代の負担軽減」や「持続可能な制度設計」といった美辞麗句の裏側に、命の優劣や軽重を肯定する考え方は潜んでいないのか。
社会保障の枠内でやりくりしようとするから、誰が得をして誰が損をするという目先の対立を招く。外側に財源を求め、全ての人々の生活を生涯にわたって支えるという社会保障の原則に立ち返ることが重要だ。
高額療養費制度を巡る議論は、決着がついたわけではない。今後を注視したい。