検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 橋渡しインタビュー > 【東日本大震災15年】山道を通っていなければ…

インタビュー

橋渡しインタビュー

【東日本大震災15年】山道を通っていなければ…

2026年3月1日

 元高校教諭の西山典友さん(72)は2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で、東京電力福島第一原発からわずか3.6キロの位置にあった当時の勤務先で被災した。長年にわたる避難生活を経て、現在は元々暮らしていた日鷲神社(福島県南相馬市小高区)に帰還。宮司として人々に寄り添い、人をつなぐ場所である神社を守り続けている。(飯塚まりな)

 日鷲神社の鳥居をくぐり、長く続く石段を上ると、本殿が見える。拝殿の裏側に、西山さんの自宅がある。

画像1)日鷲神社の鳥居
日鷲神社の鳥居

 西山さんは当時、双葉町の県立双葉高校で社会を教えていた。あの日、顧問をしていた剣道部の生徒たちと稽古場に集まったとき、激しい揺れに襲われた。

 普段は簡単に開かない鉄の門扉が、自動ドアのように開いたり閉まったりした。生徒たたちを校庭に避難させるとまたも揺れが起き、生徒たちは悲鳴を上げて転げ回った。

 校内の野球場にあった投光照明がぶつかり合い、シンバルのような音を立てた。ガラスが粉々に割れ、雨のように地面に降ってきた光景は、今も忘れることがない。

 幸い、校舎は耐震工事を終えたばかりで損傷はなかったが、津波の恐れがあり、生徒たちは高台にあった近隣の中学校へ避難した。翌日、生徒や他の教員らはバスに乗せられ、行き先が分からないまま「原発から離れた場所へ」と、福島を後にした。

危機一髪の出来事

 西山さんは、神社と自宅に残っていた家族の安否を確認するため、車で帰宅することを選んだ。

 不思議な出来事があった。渋滞で車が進まない中、道端に1人で立っていた男性が西山さんに声をかけてきた。

 「どこへ行くのか」
 「小高区です」
 「山へ行きなさい」

 その言葉に素直に従い、山道を通って帰宅した。あの時はなぜそう言われたのか分からなかったが、もし海沿いを走り続けていたら、約1時間後に津波に遭っていたことを後から知った。

 「今思えば、あの男性は神様だったと思います」。西山さんはそう振り返る。

画像2アイキャッチ兼用)西山典友さん
西山典友さん

 帰宅後はラジオを頼りに情報を入手し、夜はろうそくの明かりで過ごした。間もなく、原発事故により避難を余儀なくされ、妻、母親、息子、ペットの犬を連れて、娘が暮らす埼玉県越谷市へ逃れた。

 ほどなくして、双葉高校の生徒たちは福島県内の別の高校でサテライト授業を受けることになり、西山さんも教壇に戻ることが決まった。

 高齢の母親と長男を埼玉に残して、夫婦2人と犬で南相馬市鹿島区のアパートへ引っ越した。市から布団をもらった以外は、家財道具を一からそろえ直した。

4月中旬、避難指示区域に原則立ち入れないことが決まった。「暮らしていた土地に突然入れなくなるのは、とてもショックだった」。しばらくたってから、防護服を着てマイクロバスに乗り合わせ、数時間だけ自宅に滞在することが許されるようになった。

 さらに勤務先の学校が移転し、西山さんは妻とも離れて転居。家族がばらばらに暮らすつらさを味わった。定年退職を2年後に控えており、震災がなければ双葉町で無事に教員生活を終えるはずだった。

安否不明からの再会

 一方、日鷲神社は氏子の安否が分からないまま時が過ぎた。掃除ができない境内は荒れ果て、雑草が生い茂って鬱蒼(うっそう)としていた。

画像3)2012年ごろの荒れ果てた境内。立ち入りが制限され、石段は雑草に覆われた(西山さん提供)
2012年ごろの荒れ果てた境内。立ち入りが制限され、石段は雑草に覆われた(西山さん提供)

 避難指示区域の規制が緩やかになったころ、知人たちに手紙を出して状況を伝えた。

 12年6月、20人ほどの氏子が日鷲神社に集まり、境内を掃除し草刈りを行った。中には新潟から来た人もいた。互いの安否を確認して喜び合い、西山さんにとって一生忘れない日になった。

 再び息を吹き返した神社で、宮司としての務めを果たそうと考えた。13年の正月には、避難先から帰省し初詣を迎える参拝者を迎え入れた。久々に家族がそろって食卓を囲むこともできた。

 「再会した人たちは涙を流して抱き合っていました。社殿は傷ついても、御祈祷(きとう)ができるようにしたいと思いました」

神社は人をつなぐ神聖な場所

 西山さんは、高千穂神社(宮崎県高千穂町)の後藤俊彦宮司から教わったこととして、「社会」という言葉の意味を「社(やしろ)で会うこと」と考えている。

 神社は人々をつなぐ中心的な役割を果たす。それは、震災で人々が一度は離れ離れになっても、再会できた喜びがあったからこそ実感できたことだ。

 あれからもうすぐ15年。現在の小高区は震災前から人口が約3分の1に減少し、爪痕は今も残る。西山さんの長男は家庭を築いたが、いずれ神社を守ってほしいと伝えるのは、ためらうという。

 課題はあるが、西山さんは神社でイベントを開催するなど、積極的に活動している。地域を見守ってきた日鷲神社が、これからも住民たちの希望の光になることは、間違いない。

画像4)「『社会』は『社で会う』と書く」と語る西山さん
「『社会』は『社で会う』と書く」と語る西山さん

おすすめ記事

error: コンテンツは保護されています