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インタビュー

橋渡しインタビュー

【東日本大震災15年】老舗旅館「元の生活返して」

2026年2月28日

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で、一時は人影が消えた福島県南相馬市小高区。戦前から続く老舗旅館「双葉屋旅館」の4代目館主、小林友子さん(72)は、宿泊客を迎えながら社会活動にも熱心に取り組む。チェルノブイリ原発事故の起きたウクライナをこれまでに4回訪れ、放射能と向き合う人々の現状を視察した。(飯塚まりな)

画像1アイキャッチ兼用)双葉屋旅館の前に立つ小林さん
双葉屋旅館の前に立つ小林さん

 入り口で靴を脱ぐと、青い玄関マットに印字された「おかえりなさい」という文字が目に飛び込む。実家に帰るように「ただいま」と言える場所、それが双葉屋旅館だ。

 JR小高駅前に立地し、昔は行商に来た商人たちが泊まる宿だった。小林さんが子どもの頃は地域の結婚式場としても親しまれ、多くの人が集う場所だった。

 だが、2011(平成23)年3月11日を境に、状況は一変した。

自己責任の厳しさ

 小林さんは結婚後、夫の転勤で30年ほど故郷を離れていた。両親が病気になったのを機に、05年に実家へ戻ると、旅館の経営立て直しに向けて動き出したという。

 10年には夫も経営に加わったが、間もなく震災に襲われた。津波に襲われたかと思うと、福島第一原発1号機の水素爆発によって、避難指示が出された。

 小林さんは長男が暮らす名古屋へ避難した。仕事を探したが見つからず、孫との時間を過ごしながら、11年9月に発生した台風12号の水害でボランティア活動に参加した。

画像2)資料を元に震災当時を振り返る小林さん
資料を元に震災当時を振り返る小林さん

 12年、仮設住宅が完成し福島へ戻ったが、引っ越し費用や生活費でみるみるうちにお金がなくなっていった。「たった1カ月で100万円が、飛ぶように消えていきました」と振り返る。

 旅館は1階部分が津波で浸水しており、使えなくなった家具を外に出さなければならなかった。屋根は雨漏りし、畳はびしょ濡れ。床を剝がすなどの大がかりな改修をし、ようやく再開のめどが立ったのは3年後だった。

 他の飲食店にはネズミが侵入し、県の保健所に問い合わせたものの対応してもらえる気配がなく、住民が自分たちで捕獲機を用意した。「全てが自己責任」と、小林さんは有事の際の厳しさを感じた。

 改修工事に当たっては、市町村によって助成金の支給額が異なったため、「お金がもらえていいね」と言われて胸が痛むこともあった。「地域間で差別が生まれていました。私たちは、元の生活を返してほしいだけだったのに」

 人のつながりを取り戻したいと、駅前に花を植え、まちに彩りを与えるようにした。民生委員を引き受け、病院や買い物などに不便に感じる人たちとも向き合った。

 16年に旅館を再開。再び宿泊客が訪れるようになった。今では移住者たちが相談に来れば親身に話を聞き、できる限り対応している。

ウクライナに学ぶ原発との向き合い方

 25年4月、小林さんはウクライナへ渡った。

 小林さんは震災後、4回ほどチェルノブイリ原発事故の被災地を訪問。現地の人々の思いや生き方に触れ、放射能と今後どう向き合っていけばいいのかを考えている。

画像3)ウクライナで仲間たちと平和を願う
ウクライナで仲間たちと平和を願う

 ウクライナは福島第一原発事故を受け、福島に大量の放射線測定器を送ってくれたという。小林さんは「残念ながらロシアの軍事侵攻は続いていますが、感謝の思いで、変わらずに交流を続けています」と話す。

 爆撃を受けた現地の小学校では、子どもたちの教科書が満足にそろわない。代用のプリントを配るための印刷機が必要と知り、小林さんは日本で支援金を集めて贈った。教諭たちは喜び、小林さんに感謝の言葉を伝えた。

 今回の訪問では、ある小学校の授業を見学した。児童たちがアニメーションを見て、放射能について学んでいた。「日本の福島という場所でも原発事故があった」と説明する教諭や、地図で福島を指差す子どもの姿に驚かされたという。

 「ウクライナの子どもたちは原発の絵が描けるほど、歴史を理解していました。真摯(しんし)に原発や放射能と向き合っている国なのだと思います。一方で、日本はどうでしょうか。まだ事実と向き合えない弱さを感じてしまいます」

画像4)ウクライナの小学校で子どもたちに笑顔を向ける小林さん(前列左から2人目)
ウクライナの小学校で子どもたちに笑顔を向ける小林さん(前列左から2人目)

 放射能に被ばくしたことで、自分たちの体調や地域はどうなるのか―。
 
 家族経営で切り盛りしてきた双葉屋旅館だが、24年9月に夫が他界し、母親も25年4月に亡くなった。特に、旅館の再建や事務処理、放射能との向き合い方など、ともに歩んでくれた夫に対しては「感謝の思いしかない」と話していた。

 現在は三男の存在が支えになっている。取材時は旅館の手伝いをする若いスタッフもいた。同じテーブルで賄いを囲み、アットホームな雰囲気に包まれ、笑い声も聞こえた。

 震災で失ったものは多いが、小林さんの周りには、いつも人の温もりがある。

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