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〈文化時報社説〉罪を憎んで人を憎まず

2025年9月13日

※文化時報2025年6月20日号の掲載記事です。

 「罪の意識に向き合え、などと言ったら、彼らは死を選びますよ」

 民間刑務所の播磨社会復帰促進センター(兵庫県加古川市)で、知的障害や精神障害のある受刑者の処遇について取材したとき、ある刑務官から言われた言葉である。

 罪を償うこと、償わせることとは何か―。それを聞いたのは2014(平成26)年のことだったが、振り返れば当時から、矯正施設の現場は「懲罰・懲らしめ」から「更生・立ち直り」へとシフトしつつあった。

 今月1日、改正刑法の施行により、懲役刑と禁錮刑が廃止され、「拘禁刑」に一本化された。刑罰の在り方を懲らしめから立ち直りに変えるという、1907(明治40)年の刑法制定以来の大転換である。

 拘禁刑では障害や依存症の有無、年齢などの受刑者の特性に応じて、24種類の処遇課程が設けられた。刑務作業も懲罰ではなく、更生の手段と位置付けた。人間の変化と成長の可能性に目を向けた制度改革であり、大変喜ばしい。

 しかし、社会の意識は現在に至るまで、転換したとは到底いえない。事件が起きるたびに「厳罰が当然」といった声が、インターネットや会員制交流サイト(SNS)などに書き込まれる。

 こうした風潮が、罪を犯した人に対する偏見や差別を固定化し、社会復帰の障壁になっている。

 出所者が住まいや仕事が得られずに孤立し、再犯に手を染めるという悪循環を断ち切るには、制度改革だけでは不十分だ。宗教者の力が必要である。

 宗教者は「宗教教誨(きょうかい)」を通じ、受刑者と向き合ってきた。その歴史は1872(明治5)年、真宗大谷派乗西寺(名古屋市千種区)僧侶の鵜飼啓潭が始めた囚人教化までさかのぼる。懲罰や矯正の枠を超え、どんな罪を犯した人にも仏心の宿る一人の人間として接することを、宗教者は続けてきた。

 近年は矯正施設の中だけにとどまらず、出所後の「出口支援」や刑事処分前の「入口支援」に関わる宗教者も現れはじめた。司法と福祉を橋渡しし、社会復帰に向けた伴走型支援を行う役割が注目されている。

 こうした背景を踏まえれば、宗教者は社会の無理解や不寛容を解きほぐし、「罪を憎んで人を憎まず」という精神を広めるのにふさわしい存在だといえる。ニュースなどでも今後、耳慣れた懲役という言葉は拘禁に置き換わっていくだろうが、宗教者は法話や説教などでこの話題に触れてほしい。

 再犯を防げない原因が社会の側にもあることを、自らが信じる教えの言葉で訴えるべきだ。宗教者一人一人の真価が問われている。

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