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〈文化時報社説〉万博の開催意義を考えたい

2024年6月26日

※文化時報2024年4月26日号の掲載記事です。

 2025年大阪・関西万博は開幕まで1年を切った。海外パビリオンの建設が遅れていることや当初より費用が膨らむと想定されること、地元以外での盛り上がりに欠けることなどが、延期・中止論に拍車をかけている。一方で岸田文雄首相は「オールジャパンで着実に準備を進めていく」と強調し、政財界は機運醸成にやっきとなっている。まるで先の東京オリンピック・パラリンピックが開催される前を見ているかのようだ。

社説・万博まで一年
社説・万博まで一年

 やり玉に挙がっている費用については、資材高騰などの影響で見通しが修正され、会場整備費2350億円、運営費1160億円に膨れ上がった。05年の愛・地球博が会場整備費1453億円、運営費632億円だったことを鑑みると、かなりの規模になることが分かる。

 一方で経済効果は、シンクタンクのアジア太平洋研究所が2兆7457億円と見積もり、インバウンド(訪日外国人客)などが増加すれば最大6千億円程度上振れするとはじき出した。経済産業省も2兆9千億円に上ると試算している。

 費用と経済効果には、いずれも算出根拠を巡る疑問の声がある。経済情勢の変化で今後、さらに修正される可能性もある。それでも現時点の数字だけを見れば、開催を延期・中止までする理由は見当たらない。

 そもそもよく分からないのだが、なぜ万博の開催意義を「お金」に絞って議論する必要があるのだろうか。

 大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」である。公益社団法人2025年日本国際博覧会協会が公式ホームページで公表した「理念とテーマ事業の考え方」は、次の一文から始まっている。

 「私たちのいのちは、この世界の宇宙・海洋・大地という器に支えられ、互いに繋(つな)がりあって成り立っている」

 そして、科学技術で未来を切り開く責務があること、さまざまないのちの共通性と相違性を認識して尊重し合うこと、新たな社会の形を提案することなどをうたっている。仏教精神が前面に出ているわけではないが、縁起や利他、一切衆生悉有仏性(しつうぶっしょう)といった概念が読み取れる文章である。

 政府や大阪府・市、経済界は、1970年大阪万博と重ね合わせて経済成長ばかりを叫ぶのではなく、この理念に立ち返り、磨き上げるべきではないか。もちろんそこには、さまざまないのちと日々向き合う宗教者の叡智(えいち)が欠かせない。

 宗教を大切にする私たちは、大阪・関西万博がいのちをどのように描き、発信するかに着目する必要がありそうだ。いのちある限り、だれもが万博の主人公である。さまざまな機会を捉えて対話を重ねることが、結果として機運を高めることにつながるだろう。

 東京五輪は新型コロナウイルスの影響で1年延期された上に、開会式と大半の競技が無観客で行われ、盛り上がりを欠いた。終わってみれば、大会組織委員会を巡る汚職事件という負のレガシー(遺産)まで残してしまった。大阪・関西万博は同じ轍(てつ)を踏まないよう、宗教界を含むオールジャパンで、開催意義について考えるべきだ。

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