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「文化時報」コラム

〈73〉福井事件、3度目の春

2025年1月11日

※文化時報2024年11月1日号の掲載記事です。

 去る8月19日に再審法改正イベントのため福井を訪れたことについて、8月30日付本連載の第69回「春嶽の像の前で」で触れたが、その福井で起きた事件の再審請求で朗報が舞い込んできた。1986(昭和61)年に発生し、97(平成9)年に有罪が確定した福井女子中学生殺人事件(福井事件)である。元被告人の前川彰司さんに対し、名古屋高裁金沢支部が10月23日、再審開始を認める決定をしたのだ。

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 この事件では、一審の福井地裁が出した無罪判決が、検察官の控訴により上級審の名古屋高裁金沢支部で逆転有罪となって確定、さらに2011年に第1次再審で同支部が再審開始を決定したにもかかわらず、検察官の異議申し立てによって13年に名古屋高裁(本庁)で取り消され、結局再審請求が棄却されている。したがって、今回の再審開始決定は実に3度目の「無罪方向の判断」ということになる。

 このような経過をたどった福井事件は、3度の再審開始決定がされながら、検察官の不服申し立てによって再審無罪への道を阻まれた大崎事件とさまざまな共通点がある。冤罪(えんざい)被害者は、当初、捜査機関の厳しい取り調べに屈して犯行を自白させられ、その後の裁判で自白を撤回し、無罪を主張するパターンが多いが、福井事件の前川さんも、大崎事件の原口アヤ子さんも、捜査段階から一貫して無実を主張し、本人の自白は存在しない。

 また、犯行を裏付ける客観的証拠がほとんどないことも両事件に共通である。

 しかし、福井事件は暴力団関係者や薬物事犯の前歴のある素行不良者たちの「目撃供述」が有罪の決め手となり、大崎事件では知的障がいを抱えた親族たちの「共犯者供述」によってアヤ子さんが首謀者とされた。

 13年3月6日のことも忘れられない。この日、大崎事件では第2次請求審(鹿児島地裁)で再審請求が棄却される決定が出たが、同じ日に、福井事件では第1次請求審での再審開始決定が名古屋高裁に取り消されたのだ。再審の厳しい闘いの中で両事件の弁護団は、証拠開示のノウハウや、科学的鑑定を誰に依頼するかなどについて情報を交換し合う「同志」のような関係になっていった。

 福井事件では第2次請求審になって新たに287点もの証拠が開示され、これらが今回の再審開始の決め手となった。無罪方向の証拠の存在を認識しながら、これを隠して有罪判決を得た確定審の検察官を、裁判所は次のように厳しく糾弾した。

 「確定審検察官の訴訟活動は、公益を代表する検察官としてあるまじき、不誠実で罪深い不正の所為といわざるを得ず、適正手続確保の観点からして、到底容認することはできない」

 8月に福井事件の弁護団長・吉村悟弁護士とランチをご一緒したときの彼の笑顔がよみがえってきた。審理の過程で確かな手応えを感じていたのだろう。福井に「3度目の春」をもたらした風が、鹿児島にも届くことを願う。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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