2025年6月16日
※文化時報2025年4月4日号の掲載記事です。
再審事件や再審法改正の問題が頻繁に報じられるようになって、テレビや新聞に自分の写真や動画が映し出される機会が増えた。多くの人々に、私は「ベレー帽をかぶった弁護士」として認識されているようだ。
去る3月17日、私は三重県の主催する「人権トップセミナー」の講師として、熊野市で講演することになっていた。三重県南部の熊野市、御浜町、紀宝町の各市町長をはじめとする自治体幹部に、冤罪(えんざい)や再審の問題について理解を深めてもらうための企画である。
先方は「遠方だから」とオンラインによる講演を勧めてくれたが、「断固対面で」という私の希望により、近鉄特急とJR特急を乗り継いで片道5時間かけて熊野市に赴いた。
途中の松阪駅で乗り換える予定のJR特急が強風で1時間近く遅れ、ホームで待たされていたときである。ホームをつむじ風が襲い、かぶっていたベレー帽があっという間に飛ばされ、線路に落下してしまった。ホームに駅員の姿はなく、すぐに特急が来てしまったので、泣く泣くそのまま目的地に向かった。
そのことを会員制交流サイト(SNS)に投稿したところ、心配した多くの友人から、駅事務室に電話するように、などのメッセージが寄せられた。しかし、講演の前後に何度電話をかけても応答がない。帰りに松阪駅のJR改札口に立ち寄り、帽子が届いていないか尋ねたが、遺失物の中に帽子はないとのことだった。
すでに日はとっぷり暮れていて、線路も見えない。一点もののお気に入りのベレー帽だったが、泣く泣くあきらめて京都に帰った。
翌日、上京して霞が関で会議に臨んでいた私のスマートフォンに、無料通話アプリ「LINE(ライン)」で画像が届いた。線路に落ちているベレー帽の写真だった。四日市市在住の友人(事務所の同僚弁護士のピアノの先生である)が、SNS投稿を見て、わざわざ伊勢市での仕事の帰りに松阪駅に赴き、ホームから線路をのぞいてくれたのだ。
彼女は駅事務室にダッシュして駅員を呼び、「あと10分で到着する特急が通り過ぎるまで待ってほしい」という駅員を「それでは間に合わない」と説き伏せ、ベレー帽を回収してくれた。一晩が経過していたのに、電車にもひかれず、雨にもぬれず、無傷だった。「嬉(うれ)しくて涙が出そうです」とLINEでお礼を伝えた私に、「私もめっちゃ嬉しくて駅員さんと握手して『ありがとう』を連発してしまいました」と返信が届いた。
翌々日、ベレー帽が京都の自宅に戻って来た。回収した経緯を丁寧に記した手紙が添えられ、型崩れしないように、丸いネコのぬいぐるみに帽子をかぶせた状態で梱包(こんぽう)してあった。
頭髪のコンプレックスを隠すためにかぶり始めたベレー帽だが、今や私に人の縁と、底なしの善意を運んでくれるかけがえのない「相棒」となった。
「奇跡のベレー帽」をかぶり、再審法改正の実現に向けて「戦闘再開」である。
【用語解説】大崎事件
1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部に続いて最高裁が25年2月、請求を棄却した。