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「文化時報」コラム

〈84〉石川一雄さんの死を悼む

2025年7月16日

※文化時報2025年5月2日号の掲載記事です。

 いわゆる狭山事件=用語解説=で無実を訴え、再審請求を闘っていた石川一雄さんが3月11日、86歳で亡くなった。2006年5月に申し立てた第3次再審請求は、決定を見ないまま、当事者死亡により終了した。

ヒューマニズム宣言サムネイル 4月16日、東京の日本教育会館で、石川さんの追悼集会が取り行われ、千人を超える参加者が、会場で石川さんとの別れを惜しんだ。

 会の冒頭で、石川さん夫婦との出会いをきっかけとして冤罪(えんざい)被害者の日常を描いたドキュメンタリー映画を連作した、金聖雄監督が制作したショートムービーが上映され、続いてシンガーソングライターの小室等さんらが追悼の思いを込めたライブ演奏を行った。

 支援者、弁護団の弁護士、政治家、ジャーナリストなど、生前の石川さんと関わりのあった人々が、壇上の石川さんの遺影を見上げ、追悼の言葉を寄せた。

 石川さんは、東京拘置所で袴田巖さんと一緒だった時期があり、お互いを「カズちゃん」「イワちゃん」と呼び合っていたという。追悼集会に駆け付けた姉のひで子さんは「石川さん、なんでこんなに早く逝っちゃったの。今度こそ石川さんの再審開始がくると思っていたのに。残念でなりません。巖もがっかりしております」と、再審の闘い半ばで旅立った石川さんに涙ながらに呼びかけた。

 最後にあいさつに立ったのは、石川さんの遺志を継いで4月4日に第4次再審を申し立てた、妻の早智子さんだった。「待って待って待ち続けたんだね。やっと光が見えた。その矢先に志半ばで逝った。一雄、無念だったね。86年の生涯のほとんどを、冤罪を晴らすために使ってきた」「一雄、あなたの笑顔が大好きだったよ。もうあなたはいない」「鶯(うぐいす)になって、空から見守ってほしい。一雄、今までありがとう」

 私も壇上であいさつする機会をいただいた。日本で再審請求中に元被告人がこの世を去り、その後再審無罪判決が確定したのは徳島ラジオ商殺し事件の冨士茂子さんが最初だったこと。

 当時、死刑事件でも相次いで4件の再審無罪判決が出たのに、再審制度の改革は行われず、その後、2005年に再審開始決定の出た名張事件では、検察官の不服申し立てによって再審開始が取り消された後、第9次再審請求の途上で請求人の奥西勝さんが89歳で獄死したこと。

 さらに請求人の阪原弘さんが獄死した後2018年に再審開始決定が出た日野町事件では、検察官の不服申し立てにより7年たった現在もなお最高裁で審理が続いていること―。

 命あるうちの救済を不可能にしたのは再審法の不備が原因なのに、いまだ法改正が実現していないことで、また新たな犠牲者が生まれてしまった。その痛恨の思いとともに、今こそ法改正を実現して、早智子さんの再審請求を後方支援することを、石川さんに誓った。

 「涙々(るいるい)も 苦難乗越え六十年 吾(わ)が世の春ぞ芽吹け再審」(石川一雄)

 

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部に続いて最高裁が25年2月、請求を棄却した。

【用語解説】狭山事件

 1963(昭和38)年に埼玉県狭山市で起きた女子高生殺人事件。被差別部落出身の石川一雄元被告(当時24)が逮捕・起訴され、無期懲役が確定し、服役した。第3次再審請求中の2025年3月11日に石川さんは亡くなり、同17日付で審理は打ち切られた。被差別部落への見込み捜査により自白を強要された冤罪事件だったとして、現在も再審を求める運動が続いている。

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