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「文化時報」コラム

〈89〉5度目の夏

2025年9月25日

※文化時報2025年7月18日号の掲載記事です。

 京都に移り住んで5度目の夏を迎えた。烏丸御池駅から三条通を西に歩いて事務所に向かう途中、電柱のてっぺんに黄色い網がかぶせられているのを見て「ああ、今年も祇園祭が近い」と気付く。事務所からの帰りに同じ通りを歩くと、お囃子(はやし)を練習する「コンチキチン」の音色が聞こえてくる。

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 ただ、そういう雅(みやび)な感慨とは裏腹に、私にとって京都の夏は、なぜか病院通いの季節である。

 私は子どもの頃から病院が苦手で、少々の体調不良では病院に足が向かない。鹿児島在住時代は数年にわたり健康保険証を使わないこともあった。

 ところが、である。京都に転居した2021年の夏、事務所の隣にある駐車場の車止めにつまずいて転倒、とっさに左手で体をかばったところ、親指の付け根の靭帯(じんたい)を断裂して整形外科に入院、手術の憂き目をみた。

 翌22年の夏は、突如40度を超える高熱が数日続くという人生初の事態に襲われ、発熱外来に駆け込んだところ、急性腎盂(じんう)腎炎と診断され、12日間入院した。

 23年は無事に過ごしたが、24年の夏は白内障で両目を手術。そして今年の夏は、4月末から続く咳(せき)が2カ月経っても収まらず、夜も寝付けないありさまとなったことから、呼吸器内科を受診したところ、気管支喘息(ぜんそく)と診断され、ステロイド吸入薬のお世話になる毎日となった。

 京都での4年半で、整形外科、消化器内科、眼科、呼吸器内科に加え、歯科、皮膚科、脳神経内科も受診しており、自分でも驚くほどの頻度で病院に行っている。

 もちろん、還暦を超えて身体機能や免疫力が落ちたということも原因だろう。もっとも、理由はそれだけではないようだ。

 病院嫌いになったのは、医師の言動に傷つくことが少なくなかったからである。しんどいから受診しているのに「たいしたことはない」と言わんばかりにあしらわれたり、体調を崩したことを患者の落ち度のように責められたり、木で鼻をくくるような態度を取られたりして、自分の症状をうまく伝えられず、次もそんな思いをするのでは…と二の足を踏むようになっていたのだ。

 ところが、京都で訪れた病院の医師は、総じてにこやかで、説明も丁寧、「ああ、それはしんどいですね」とこちらを気遣い、ときにはプライベートな話題や冗談も口にする。

 こうなると、もともと饒舌(じょうぜつ)な私である。自分の症状を的確に伝えることができ、それが医師の的確な助言を引き出すことにもつながる。「京都の病院は敷居が高いのでは」と思っていたが、今では自分の偏見を恥じている。

 医師と弁護士は、ともに「先生」と呼ばれ、専門職でもあり、それゆえにともすると高慢な態度になりがちだ。しかし、医師も弁護士も接客業である。かつては苦行でしかなかった通院は、今や自らの接客の在り方を見直す絶好の機会になりつつある。

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