2024年8月30日
※文化時報2024年6月14日号の掲載記事です。
袴田事件=用語解説=の再審公判が結審した翌日である5月23日、私は静岡から大津に移動した。2020年3月にやり直しの裁判である再審で無罪判決が言い渡された湖東記念病院事件=用語解説=について、元被告人の西山美香さんが国(検察)と滋賀県(警察)を相手取って損害賠償請求を求めている裁判で、この日、西山さんを取り調べたY刑事に対する証人尋問が行われることになっていたためである。
午前10時から午後4時過ぎまで行われた証人尋問で、Y刑事は終始一貫して、再審無罪判決が認定した「供述弱者である西山さんのY刑事に対する恋愛感情を利用した取り調べで、意のままに自白を獲得した」という事実を全否定した。自白を誘導するような取り調べはしていない、飲食物を供与したこともない、西山さんが「供述弱者」であることは全く認識していなかった、西山さんが自分に対して恋愛感情を持っていたとは思えない、被疑者と取調官との間の信頼関係だと思った―と主張したのだ。
しかしY刑事は、消極的な証言の中で数回にわたり「被疑者を改心させるのが警察官の責務」であると述べた。取り調べの目的は、事実を聴き取ることであって「改心」させることではない。これはもう、目の前の被疑者を「犯人」と決めつけていることを「自白」したようなものである。そもそも、相手を一方的に「改心させる」など、道を説く宗教者でさえ否定するだろう。
Y刑事の証人尋問の1週間後、同じ証言台に立ったのは、Y刑事の上司で捜査責任者だったT刑事だった。
この事件では、再審公判の段階で、警察が検察に送致していなかった証拠が多数あったことが発覚した。その中には、「被害者」とされた患者を解剖した医師が、患者は痰(たん)詰まりで死亡した可能性も十分あると述べたことを記載した捜査報告書もあった。
これには再審公判を担当した裁判長もあきれ果て、判決後に「本件再審公判の中で、15年の歳月を経て、初めて開示された証拠が多数ありました。そのうちの一つでも適切に開示されていれば、本件は起訴されなかったかもしれません」と言及したほどである。
ところが、T刑事は、この捜査報告書について、存在自体を記憶していないと証言する一方で、「不正確、未完成、メモのようなものであれば、送致しないこともある」と証言した。
法は警察が捜査中に作成した記録や収集した証拠は全て検察に送致しなければならないと定めている。T刑事は「法の建前は認識しているが実際はそうでなかった」と堂々と証言した。警察が自らの判断で記録や証拠を取捨選択し、都合のよいものだけを検察に送ることがまかり通れば、偏った証拠のみに基づいて起訴され、そして有罪判決がされてしまうだろう。冤罪(えんざい)が生まれるのは必然である。
2週連続で、私はまたしても心の中でつぶやいた。
「恥を知れ!」
【用語解説】袴田事件
1966(昭和41)年に静岡県で起きた一家4人殺害事件。強盗殺人罪などで起訴された袴田巌さんは公判で無罪を訴えたが、80年に最高裁で死刑が確定した。裁判のやり直しを求める再審請求を受け、2014(平成26)年3月に静岡地裁が再審開始を決定。袴田さんは釈放された。
検察側の即時抗告によって東京高裁が決定を取り消したものの、最高裁が差し戻し。東京高裁は23(令和5)年3月、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性が「極めて高い」として、改めて再審開始決定を出し、検察側は特別抗告を断念した。同年10月から静岡地裁で再審公判が始まった。
【用語解説】大崎事件
1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。