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「文化時報」コラム

〈66〉97歳の闘志

2024年9月19日

※文化時報2024年6月28日号の掲載記事です。

 去る6月15日、大崎事件で一貫して無実を訴えている原口アヤ子さんは97歳となった。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 この日、大阪で再審法改正をアピールする市民集会が開催された。袴田事件=用語解説=の主任弁護人である小川秀世弁護士、巖さんの姉のひで子さん、東住吉事件で再審無罪となった青木惠子さん、亡き父のために再審の闘いを続けている日野町事件の阪原弘次さん、そして映画監督で「再審法改正をめざす市民の会」の共同代表を務める周防正行さんが大阪に結集し、冤罪で苦しむ人を救うための唯一にして最後の制度であるはずの再審のルールが、いかに不十分で機能不全に陥っているかを、それぞれの立場から熱く語った。会場には200人の参加者が詰めかけ、オンライン参加も含めると400人を超える大盛会となり、関西を中心に、テレビ・新聞でも大きく取り上げられた。

 集会の冒頭、袴田事件の概要と釈放後の巖さんの様子を伝える動画が上映され、その後を受けて基調講演を行うべく壇上に上がった小川弁護士は、涙で声を詰まらせ、しばらくの間言葉を発することができなかった。

 「釈放されて10年が経ったけど、巖さんはあの映像(拘禁反応により精神を破壊され、妄想の世界に閉じこもっている状態)のまま、今もほとんど変わっていないんですよ。あれほど無罪判決を願い続けたのに、今はその裁判の法廷に立つこともできない。話しかけても意思の疎通もほとんどできない。こんなに長くかかったことが申し訳ない」

 そう絞り出すように語る小川弁護士の姿に、私も涙が止まらなかった。同じ思いだからである。

 私が大崎事件の弁護人になった20年前、アヤ子さんはとても元気で、弁護団会議や記者会見に同席して、「私がこれほどやってない、やってない、と言っているのにどうして裁判所も検察も分かってくれないのか。弁護士も何をやっているのか」と口から炎をほとばしり出すがごとく、無実を訴えていた。

 しかし、年を追うごとに足腰が弱り、認知症の症状も現れ、2度の脳梗塞で言葉を発することもできなくなった。今ではベッドから起き上がることも難しくなっている。事件から45年、第1次再審請求で初めて再審開始決定が出てから22年。あまりにも長くアヤ子さんを待たせ続けている自責の念は、片時も心から離れない。

 大阪での集会の翌日、伊丹空港から早朝の便で周防監督とともに鹿児島に飛び、アヤ子さんにお誕生祝いの花を届けた。「再審無罪を勝ち取るまで元気でいてね。いや、そのあともずっとずっと長生きしてね」と言うと、ベッドに横たわっているアヤ子さんは少し首を持ち上げて大きくうなずいた。周防監督が「アヤ子さん、ずっと目で鴨志田先生を追い続けてる」とつぶやいた。

 失った声の代わりに、アヤ子さんはまなざしで闘志を伝えたのだ。アヤ子さんの再審無罪と再審法改正は、「97歳の闘志」を受け止めた私の、人生をかけた使命である。

【用語解説】袴田事件
 1966(昭和41)年に静岡県で起きた一家4人殺害事件。強盗殺人罪などで起訴された袴田巌さんは公判で無罪を訴えたが、80年に最高裁で死刑が確定した。裁判のやり直しを求める再審請求を受け、2014(平成26)年3月に静岡地裁が再審開始を決定。袴田さんは釈放された。
 検察側の即時抗告によって東京高裁が決定を取り消したものの、最高裁が差し戻し。東京高裁は23(令和5)年3月、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性が「極めて高い」として、改めて再審開始決定を出し、検察側は特別抗告を断念した。同年10月から静岡地裁で再審公判が始まった。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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