2024年11月15日
※文化時報2024年9月13日号の掲載記事です。
捜査機関の厳しい取り調べに屈して、やってもいない犯行を自供してしまう「虚偽自白」が、多くの冤罪(えんざい)事件の原因となっている。一方、同様に冤罪の原因となる「虚偽の供述」の中には、実際には関わっていない他者の関与を認めてしまうものもある。
15年前、厚生労働省の元課長だった村木厚子さんが巻き込まれた「郵便不正事件」では、実行犯だった部下が、上司の村木さんの指示で犯行に及んだという虚偽の供述をしたために、村木さんは逮捕・起訴された。
つい先日、「プレサンス元社長冤罪事件」で「検察なめんなよ。命かけてるんだよ、俺たちは。あなたたちみたいに金をかけてるんじゃねえんだ」などと大声で怒鳴るなどして威圧的な取り調べを行った現職の検事が、特別公務員暴行陵虐罪で刑事裁判にかけられることが決まった。この事件では業務上横領事件の共犯者として過酷な取り調べを受けた部下が、実際には関わっていない元社長の関与を認める供述をしたことで、元社長も逮捕・起訴された。
後に無罪が確定した二つの事件に共通するのは、「上司の関与があったに違いない」という捜査機関の見立ての下で、部下を締め上げる捜査手法だ。どちらも大阪地検特捜部によってもたらされた冤罪事件である。
自分自身がやっていないことを「自白」する以上に、無実の上司を巻き込む噓(うそ)の供述をした部下たちは、その後も長きにわたり良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれただろう。ここで私が思い出すのは、大崎事件の原口アヤ子さんの元夫、一郎さん(仮名)である。
大崎事件では、アヤ子さんが一貫して犯行を否認したのに対し、「共犯者」とされた男性3人が、自らの犯行を認めた上で「アヤ子の指示でやった」と供述したために、アヤ子さんは主犯として、4人の中で最も重い刑に処せられた。その「共犯者」の一人が、一郎さんだ。
アヤ子さんは満期服役して刑務所を出所した後、先に出所した一郎さんに、「なぜ私を巻き込んだのか」と問いただした。
一郎さんは「すまなかった。俺もしていないしアヤ子もしていないが、刑事の厳しい調べに負けて、やったと言ってしまった」と詫(わ)びた。それなら一緒に再審をしましょう、と言うアヤ子さんに、一郎さんは首を横に振り、「もう裁判はたくさんだ」と断った。
一郎さんは交通事故の後遺症で体が弱り、知的なハンディも抱えていた。あの恐ろしい裁判所に再び行くことが耐えられなかったのだ。
アヤ子さんは、そんな一郎さんを許すことができず、離婚。一人で再審請求の闘いを始めた。
一郎さんは、事件以前から住んでいた、被害者の遺体が見つかった場所と同じ敷地にある自宅に、その後も一人で住み、庭を掃き清め、花壇に花を植え、ひっそりと暮らした。そして、ほどなく病を得て世を去った。
(続く)
【用語解説】大崎事件
1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。