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「文化時報」コラム

〈71〉再審法改正願う―「アヤ子のうた」 ㊦

2024年11月27日

※文化時報2024年10月4日号の掲載記事です。

 大崎事件で犯行を自白した3人の「共犯者」たちは、いずれも知的障害を抱えていた。今では「供述弱者」と呼ばれ、取調官に迎合しやすく、誘導されやすい、強く言われると抗(あらが)えない、といった特性のあることが知られている。のちに再審無罪となった足利事件の菅家利和さんや湖東記念病院の西山美香さんなど、「供述弱者」の自白が冤罪(えんざい)の原因となった事件は枚挙にいとまがない。

 ヒューマニズム宣言サムネイル

 アヤ子さんが「あたいはやっちょらん」と一貫して無実を訴え、冤罪を晴らそうとする一方で、「共犯者」とされた男性たちは、法廷でも無実を主張せず、有罪判決に控訴もせず服役した。出所後、元夫の一郎さん(仮名)は病死、あとの2人は自ら命を絶った。大家族の農家に生まれ、普段は寡黙で、真面目に農作業に勤(いそ)しみ、酒を飲むとちょっとだらしなくなる気のいい男たちが、なぜこんな悲しい末路を辿(たど)らなければならなかったのだろうか。

 一郎さんとアヤ子さんは一族の長男夫婦として、盆や正月には、帰省する多くの親族を迎えていた。夫婦仲も良く、事件さえなければ離婚することなどなかっただろう。

 事件を境に親族も離散し、事件に関係した、かつての身内も相次いで他界する中、アヤ子さんは4度にわたる再審を闘い続けた。「鉄の女」と呼ばれたアヤ子さんだが、あるとき支援者に対し、「みんな死んでしまって寂しい」と漏らしたという。

 もし、そんなアヤ子さんを、一郎さんが天国から見ているとしたら、どんな言葉をかけるだろうか…。私は、一郎さんからアヤ子さんに贈る言葉を想像し、歌を作った。

 「アヤ子のうた」と題するその歌の中で、一郎さんは、平和な日常から一転、殺人犯に仕立てられた衝撃、アヤ子さんに「一緒に再審しましょう」と持ち掛けられても立ち上がることができなかった後悔を告白する。そして最後に、

 《だけど、アヤ子

 お前はまだ ここ(天国)に 来ちゃいけない》

と、かつての妻への思いをほとばしらせる。

 袴田事件=用語解説=の判決言い渡しの1週間前にあたる9月19日、「今こそ変えよう!再審法~カウントダウン袴田判決」と銘打った大規模集会が、東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)で開催された。袴田さんの再審無罪確定と再審法改正の実現を願って集まった2500人もの大観衆の前で、私はピアノの弾き語りで「アヤ子のうた」を歌った。

 そして、9月26日、袴田巖さんに、待ちに待った無罪が言い渡された。35年ぶりの死刑再審無罪判決に沸き返る静岡の地から、遠い彼方の鹿児島で、事件から45年間闘い続けている97歳の原口アヤ子さんを思った。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

【用語解説】袴田事件

 1966(昭和41)年に静岡県で起きた一家4人殺害事件。強盗殺人罪などで起訴された袴田巖さんは公判で無罪を訴えたが、80年に最高裁で死刑が確定した。裁判のやり直しを求める再審請求を受け、2014(平成26)年3月に静岡地裁が再審開始を決定。袴田さんは釈放された。
 検察側の即時抗告によって東京高裁が決定を取り消したものの、最高裁が差し戻し。東京高裁は23年3月、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性が「極めて高い」として、改めて再審開始決定を出し、検察側は特別抗告を断念した。再審公判で静岡地裁は今年9月26日、袴田さんに無罪を言い渡した。

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