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インタビュー

橋渡しインタビュー

手話うたで地域の役に立ちたい 水戸まなみさん

2025年1月1日

 宮城県柴田町の水戸まなみさん(42)は「サインヴォーカリスト」として、手話を使った音楽活動を行っている。音が聞こえない人にも「歌で気持ちを伝えたい」と、動画配信や講演活動に力を注ぐ。手話といえば障害や福祉の印象が強いが、表情を使いコミュニケーションの幅を広げるツールとして適しているという。2024年5月、20年間住んだ東京を離れ地元へ戻った水戸さんに、話を聞いた。(飯塚まりな)

 サインヴォーカリストとは、手話と歌を交えて歌詞の世界観を伝える音楽のこと。水戸さんは透明感のある歌声で、優しく人の気持ちに寄り添うように歌う。

水戸まなみさん(撮影 矢本博務)
水戸まなみさん(撮影 矢本博務)

 自身の動画投稿サイト「ユーチューブ」では、子ども向けの歌から平成のポップス、ドラマの主題歌まで手話で表現し、手の動きに合わせて歌詞の意味をテロップで表記している。手話に興味があっても、教室に通う時間や余裕がない人向けの教材にもなっているという。

 現在は柴田町を拠点に、高齢者のデイサービスや保育園での行事で手話うたを披露している。子ども向けの手話教室も開き、地域に根差した活動に取り組む。20年間暮らした東京には月1度戻り、新宿や横浜のカフェで、ライブや手話によるランチ会を開催。聴覚障害者と健常者による交流の場を、意欲的に設けている。

 講演活動では、主に小学校に出向いて手話の魅力を伝えている。24年7月には母校の柴田町立船岡小学校150周年の記念講演を依頼され、卒業生として登壇した。

 水戸さん自身は、耳が聞こえなくなった経験はない。だが、「手話は私の人生を変えてくれた」と思いは熱い。音楽は耳が聞こえる人だけのものではなく、たとえ聞こえなくても、興味がある全ての人に喜びを共有できると語る。

引っ込み思案の私が「歌手になりたい」

 1982年生まれ。子ども時代は自分の気持ちを伝えるのが苦手で、人と話すときも目を合わせて会話することが難しかったが、ひそかに歌手に憧れていた。

「中学生の頃は歌番組が好きで、歌が人に大きな影響力を与え、生きる糧になると感じました。私もそんな歌を歌えたらと思ったんです」

 家族に打ち明け、高校3年のときにタレント養成所へ入った。地元の大学へ入学し、学生時代にスーパーのアルバイトをしていると、聴覚障害のある客が来店。自分の言葉が伝わらず、接客ができなかった経験から手話を学びたくなった。

イベント出演でたくさんの人との縁ができた
イベント出演でたくさんの人との縁ができた

 卒業後は「後悔したくない」と、音楽活動をするために上京。レコード会社と契約したが、決して甘いものではなく、度胸試しとファンづくりのために秋葉原の路上で歌った。会社から勧められたことだが、引っ込み思案の性格としては考えられないほど緊張したという。

 そこで、すでに習い始めていた手話を取り入れた。「耳が聞こえない人にも、歌詞の思いを届けたい」と、「手話うた」で表現の幅を広げていく。気付けば、足を止めて水戸さんの歌に喜ぶ聴覚障害者の姿があった。

 「手話を使えば、表情や手の動きで、曲の深みがより一層伝わります」と、水戸さんは笑顔で語った。

東日本大震災で感じた手話うたの意義

 2010年にCDデビュー。だが11年に地元の宮城県で東日本大震災が起き、ショックを受けた。実家のある柴田町でも電柱が斜めになり、屋根やブロック塀が崩れ、トイレの水は川からくむなど被災した。

 地震発生から1カ月後、水戸さんは東京からようやく物資を届けに行った。以降、月1度は宮城県へボランティアに行き、特に気仙沼市には何度も通ったという。

被災地の最新情報に敏感だった
被災地の最新情報に敏感だった

 被災者は地域の臨時災害ラジオを頼りに、水や食べ物の配給時間や場所を知り、情報を入手していた。だが、聞こえない人は物資をもらい損ねるという話を耳にした。

 「いざ災害が起きると、障害のある方は周りの人を頼っては申し訳ないという気持ちになり、情報を得ることに躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。安否が気になりました」

 水戸さんは当時ソフトバンクが提供していたタブレット端末を、障害のある人たちに提供する手伝いを行った。東京にいる間は日本財団のブースに座り、短文投稿サイト「ツイッター」(現「X」)を使って最新情報を届けるボランティア活動に参加。山元町を担当し、情報をいち早く文字にして発信した。生まれ育った宮城県の役に立ちたいと、必死に活動を続けた。

 発生から数カ月経過すると、仮設住宅に移り住み、健康を害し、ストレスを抱えている人が増えていた。水戸さんは仮設住宅で暮らす住民に声をかけ、手話うたを披露し、「一緒に体を動かしましょう」と、手話でリラックスできるレクリエーションを行った。参加者の中には思わず気持ちがほぐれ、涙する人もいたという。

学校での講演会 真剣に聞く子どもたちに向けて手話をする
学校での講演会 真剣に聞く子どもたちに向けて手話をする

 今でも思い出す、震災後のツンとするような異様な臭い。地震と津波で変わり果てたまちを目にして、絶句した日のことは忘れられない。しかし人々は懸命に助け合い、復興への長い道のりを歩んだ。

 水戸さんは、傷ついた人たちに手話うたを通して寄り添い、生まれ育った地域で何ができるかを考えた。「未来を生きる子どもたちのために手話を伝えていこう」。教育ではなく、共に育むと書いて心の「共育」が大切であり、新しい音楽スタイルを伝えていきたいと願った。

 「私は手話のおかげで性格が一変し、明るい毎日を過ごせるようになりました。子どもたちには表現することの大切さを知り、思いやりを学んでほしい」

 山も海も都会もある宮城県。空気が澄み、食べ物はおいしいが、復興が道半ばでくすぶっている地域は点在するという。震災を風化させずに、生きる意味と未来を担う子どもたちのために歌手活動を続けていく―。水戸さんは、そう誓った。

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