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仏に聞く・患者に聞く ビハーラ医療団が大会

2025年11月11日

※文化時報2025年9月12日号の掲載記事です。

 宗教者と医療者が真宗の教えを学び、ビハーラ活動=用語解説=を推進する「ビハーラ医療団」(事務局・仁愛大学、福井県越前市)は8月31日、仁愛大学で第22回大会となる研修会「仏教と医療を考える集い」を開いた。

 昨年は台風の影響で中止しており、2年ぶりの開催。「聞くということ―仏に聞く・患者に聞く」をテーマに、脳神経内科医の岸上仁氏や、心理学者の大住誠氏の講演などを通じて、30人超が学びを深めた。

 ビハーラ医療団は、1998(平成10)年7月、同大学学長の田代俊孝代表と龍谷大学客員教授の田畑正久氏、大谷派門徒の内田桂太氏の呼び掛けで発会。医療関係者で僧籍を持つ会員らが集う研修会を毎年行ってきた。2015年には、仏教伝道協会の沼田奨励賞を受賞した。

【記念講演】苦悩を真正面から
――岸上 仁 氏(脳神経内科医・真宗大谷派受念寺副住職)

(画像:岸上 仁 氏)
岸上 仁 氏

 ある難病患者から「お前には分からん」と言われたことがあった。この言葉は、医者として病気を分析し、解決策を探すことに終始していた私に大きな衝撃を与えた。

 患者さんの「死にたい」という言葉の奥に隠された、「石になっていくみたいで怖い」という声に、人間として生きたいという深い叫びがあることに気付かされた。

 一方で、苦悩は単なるネガティブな感情ではない。真実や生きる意味を求める心の現れであり、そこにこそ深い意味があるはずだ。仏教は、この苦悩を真正面から捉え、人間がどう生きるかを問い続けてきた。

 医療現場が、病気と治療だけでなく、立場を超えて互いの苦悩を分かち合う「サンガ(共同体)」のような場所になることを目指したいと考える。そのためには、まず私たちが自分自身の問いと向き合い、患者さんの声に耳を傾け続けることが不可欠であると信じている。

【記念講演】中動的な姿勢を
――大住 誠 氏(心理学者・真宗大谷派法閑寺住職)

(画像:大住 誠 氏)
大住 誠 氏

 心理療法には、治療者と患者が互いに理解し合う「対的な関係性」と、患者が自己と向き合う「対自的な関係性」の両方が不可欠だ。

 ただ、従来の心理療法では治療者が患者を何とか治そうとするあまり、対的な関係性が重視され、患者の依存や治療者の内面への過剰な介入といった問題が生じがちだった。

 問題の解決には、患者の内なる力を引き出す「自然治癒力」が鍵となる。外部からの刺激ではなく、患者自身の中から湧き出てくるという視点に着目し「瞑想(めいそう)箱庭療法」が生まれた。

 この療法では、治療者も患者も共に瞑想し、意図的に治そうとしない「中動的な態度」を取る。能動的でも受動的でもなく、自然にそうなるがままに任せる姿勢だ。東洋思想における「自然」や「他力」の概念に通じる。

 言葉や理屈を超えた働きを、寛容な空間の中で顕在化させることで、心の治癒を促す新たな心理療法の形だ。

(アイキャッチ兼用画像:2年ぶりに開催されたビハーラ医療団の研修会=8月31日、福井県越前市の仁愛大学)
2年ぶりに開催されたビハーラ医療団の研修会=8月31日、福井県越前市の仁愛大学

仏教思想を背景に
――目黒 達哉 氏(仁愛大学特任教授・臨床心理士)

 傾聴は単なる技術ではなく、話し手の人生の奥深さに向き合うための大切な態度だ。

 ただ、臨床心理学の視点だけでは捉えきれない部分がある。

 私はロジャーズの「中核の3条件」などに加えて、仏教思想である「宿縁」や「縁」といった考え方を背景に持つことが、より深い傾聴につながると考える。

 大学生、社会人、寺族を対象とした比較研究では、それぞれが「聞けた」と感じる瞬間が、話し手の過去や個人的な話に向き合ったときに共通して見られることが分かった。

 傾聴は相手と深く影響し合う相互的なものであり、安全・安心な社会を築く上で重要な役割を果たすと信じている。

そのまま受け止める
――山本 成樹 氏(京都桂病院ビハーラ僧)

 聞くことは、自身の経験や偏見を超えて相手の存在をそのまま受け入れることだ。経験は理解を深めるが、それにとらわれると相手の話を真に聞けなくなる。相手の境遇を深く聞き、自分の価値判断を入れないことを心がけることが重要だ。

 安易に「分かります」と言わず、相手の言葉をそのまま聞くことで、本当の対話が始まる。

 難しいことだが、絶えず自身の姿勢を問う大切な営みである。

 病院での経験から、患者の生きてきた境遇を深く聞くことの大切さを学んだ。これは仏教の教えを聴く姿勢にも通じる。仏の声、そして他者の声をありのままに耳を傾けることで、心は豊かになり、より深く生きる道が開かれていく。

単なる福祉活動でない
――田代 俊孝 氏(仁愛大学学長・真宗大谷派行順寺住職)

 私たちが提唱した「ビハーラ」は、単なる福祉活動ではなく、仏法によって生老病死の苦しみを乗り越えるための営みだ。この真意は、仏法に耳を傾ける「お聴聞」に帰結し、患者さんの話を聞く傾聴もまた、この背景がなければならない。

 人は「知っている」「分かっている」という傲慢(ごうまん)さや、ご利益などを求める心によって、仏法を素直に聞けなくなる。これは仏法を形だけのものにしてしまう。

 真に聞くためには、仏法を学ぶ心構えを持つことが重要だ。また、念仏は単なる呪文ではなく、仏の願いが私たちに働きかけてくることである。仏の教えは、求めるのでなく、向こうから届くものを素直に聞くことにある。

計算思考が苦しみ生む
――田畑 正久 氏(龍谷大学客員教授)

 人生を計算的な思考で捉えてプラス要因を集めようとすると、老病死といったマイナス要因に直面したとき、苦しみが生まれる。現代医療も同様に、病気を克服する計算的な思考を主軸としているが、解決できない問題に直面すると「長生きが一番悪かった」と悔いるような事態を招く。

 仏教の智慧(ちえ)は、この苦しみを乗り越えるための「無分別知」を提供する。これは、老病死を単なる不幸と捉えるのではなく、その声に耳を傾け、人生の深い意味に気付くことだ。

 浄土の教えは、この智慧を自力で得られない私たちに、阿弥陀仏の慈悲を通して、ありのままの自分を受け入れる道を示し、心豊かな生き方を可能にする。

【用語解説】ビハーラ活動(仏教全般)

 医療・福祉と協働し、人々の苦悩を和らげる仏教徒の活動。生老病死の苦しみや悲しみに寄り添い、全人的なケアを目指す。ビハーラはサンスクリット語で「僧院」「心身の安らぎ」「休息の場所」などの意味

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