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「文化時報」コラム

〈97〉勝負の年

2026年2月16日

※文化時報2026年1月16日号の掲載記事です。

 2025年から26年への「ゆく年くる年」は壮絶だった。

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 12月27日、すでに仕事を納めてお正月休みモードの家族連れがひしめく伊丹空港から鹿児島に飛び、午後1時から6時までの大崎事件弁護団会議に赴いた。

 1月8日に迫った第5次再審請求の申し立て前最後の弁護団会議ゆえ、当然のごとく熱のこもった議論が展開された。

 翌日、空路鹿児島から京都に戻り、地元のイタリア料理店で友人と食事したところまでは良かったのだが、夕食後の遅い時間にZOOM(ズーム)会議に参加している途中で体調に異変を感じた。未明から激しい嘔吐(おうと)、下痢、腹痛に襲われ、整腸剤も飲んだそばから吐いてしまう状態となり、京都救急診療所に駆け込むなり点滴を打たれた。12月29日のことである。

 結局、大みそかまでの3日間、ほぼベッドとトイレとの間を往復するだけの生活を余儀なくされた。

 夫が亡くなってからのお正月は、宮城県にある息子の妻のあさひちゃんの実家で過ごすのが恒例となり、昨年からは孫の理倶も加わっていっそうにぎやかになったが、この正月は宮城行きも諦めて、ひたすら養生に努めた。

 そして、3日からは大崎事件第5次再審請求書の仕上げに取り掛かり、5日の昼までにほぼ書面を完成させ、6日午前からの法制審議会刑事法(再審関係)部会のため、上京して前泊。6日は東京で、法制審とその後の記者レク、二つの会議をこなして夜10時過ぎに京都に帰宅。翌朝は7時過ぎに家を出て、いよいよ大崎事件第5次再審請求の申し立てのため、再び鹿児島へ。原口アヤ子さんの命あるうちに再審無罪を勝ち取るための、最後の闘いのスタートである。

 そして、アヤ子さんの存命中の雪冤(せつえん)の実現にとって、再審開始決定に対する検察官の不服申し立ての廃止を含む再審法改正が絶対条件となる。法制審が2月中旬にも答申をとりまとめる方針を固めており、ついに今年は、刑事訴訟法の施行から77年目にして初めて、再審法が変わるという歴史的な転換点を迎えることが確実となった。しかし、問題はその法案の「中身」である。

 8日の大崎事件第5次再審請求直後に行われた報告集会は、真に冤罪被害者の救済を可能にする再審法改正というゴールへの号砲である。

 幸い、袴田ひで子さんをはじめとする冤罪被害当事者、再審法改正をめざす超党派議員連盟の会長である柴山昌彦衆議院議員など多彩な参加者が鹿児島と東京(サテライト開催)に結集した。

 実は元旦にリハビリを兼ね、自宅からゆっくり歩いて伏見稲荷大社に参詣し、おみくじを引いた。

 「今まで諸人のために尽くして来た、望外の喜びのある兆である」―大吉だった。

 もはや「病み上がり」などと言っている場合ではない。2026年はまさに、「勝負の年」である。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。
 出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年の第4次再審請求は最高裁が25年に棄却。26年1月8日、第5次再審請求を行った。

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