2026年2月20日
※文化時報2025年12月19日号の掲載記事です。
スピリチュアルケア師として、私はしばしば「あっちのスピリチュアルではないんです」と、わざわざ口にしてしまいます。「あっちのスピリチュアル」。つまり、守護霊とか、オーラとか、水晶玉とか、そういったものとは一線を画しているのだと、分かってもらいたくなるのです。

そんな言い方をしてしまうくらいですから、私の中にはやはり、その類のものをどこか怪しいもの、科学的ではないものとして、一段低く見ている部分があったのですが…。
その方は、長いこと家族を亡くした悲しみにとらわれ、どうにも抜け出せずにいました。
カウンセリングも受けましたし、心療内科で薬も処方してもらいました。けれど、はっきりとした変化はありませんでした。
ところが、ネットで見つけた霊能者に見てもらった途端、まるで憑(つ)きものが落ちたように、すっきりしたのです。
それまで「きっと恨まれているに違いない」と思い込んでいたのが、霊能者に「幸せになってほしいと言っていますよ」と告げられただけで、亡くなった家族は「守護霊となって自分を守ってくれている存在」になりました。
心理学や医学がどうにもできなかったことを、あっぱれ、一瞬で解決。けれど霊能者がしたのは、未来を保証したことでも、死後の世界を証明したことでもありません。ただ、その人が長いあいだ誰にも言えずに抱えてきた「恨まれている」という物語を、「見守られている」という物語に、そっと差し替えただけ。でも、それによって、その人はようやく息ができるようになったのです。
人は、事実だけでは生きていけません。「正しいかどうか」よりも、「その人が生きやすくなったかどうか」。そこを、もっと真剣に見なければいけないのだとあらためて思いました。自分の理解の外にあるものを、安易に「あっち」と切り分けて安心するのではなく、人が生き延びるために選び取った世界を、壊さずに抱える覚悟をもたなければ。