2026年3月7日
※文化時報2026年1月23日号の掲載記事です。
泣く子を腕に抱き、静かに揺らしながら、母親が子守唄(うた)を歌う。

子を寝かしつけるための行為だと思われがちですが、実はその旋律で最初にケアされているのは、母親自身なのかもしれません。
泣きやまない。寝付かない。その時間が続くほど、母親の心は、知らず知らずのうちに波立っていきます。焦り、いら立ち、無力感。「早く寝てほしい」という願いと、「どうして泣きやまないのか」という思いが重なり、呼吸は浅くなり、腕に力が入り、余裕が失われていく。
そんなとき、母親が思わず口ずさむ子守唄は、誰かに教わった正確な旋律である必要はありません。ただ、ゆっくりとしたリズムに身を委ね、静かな音に意識を向け続ける。そうしているうちに、やがて、母親自身の呼吸が整い、心の揺れが少しずつ静まっていくのです。
子守唄は、泣いている子に向けられているようでいて、実は、母親の内側に向かって響いている。
声を出し、同じ旋律を繰り返すことで、張りつめていた緊張や不安がほどけ、イライラと湧き立っていた感情が、静かに霧散していく。
それは、誰にも労(いたわ)られなかった時間を、自分自身が自分に返しているような行為でもあります。
やがて、静かになった母親の心の波動が、腕の力や皮膚の温度を通して、抱かれた子へと伝わってゆきます。言葉では説明できないかたちで、その安定が子を包み込み、深い眠りが訪れるのです。
子が眠るのは、子守唄の「効果」ではありません。母親の心が先に落ち着いた、その結果です。つまり、子守唄が最初にケアしているのは、母親の心。子の眠りは、その恩恵として、あとから与えられたのです。
ケアとは、誰かを直接変えるための技術ではありません。まず自分が整い、その在り方が、そっと相手に伝わっていく。その結果として、相手の内側に変化が起こるのです。
子守唄は、そのことを静かに教えています。ケアは連鎖する。常に縁起の中にある。