2025年5月2日
※文化時報2025年1月21日号の掲載記事です。
初めて自助グループのミーティングに参加した20歳の頃は、仲間という言葉をどうしても受け入れられなくて、かたくなに拒んだ。友達はありやけど仲間はなんか噓(うそ)っぽいやん!と思っていた。
精神科病院でアルコールや薬物依存症の治療を受けていたので、自助グループを紹介されて参加しに行くのだが、そこにいる人たちをどうしても仲間と思えなかった。10年近くの間、再飲酒や薬の再使用があって入退院を繰り返していたけど、それでも同じだった。
30歳から3年間刑務所に服役して、33歳で娑婆(しゃば)に出てきて些細(ささい)なことをきっかけに再飲酒した自分を目の当たりにしたとき、初めて自分は依存症なんだと認められた。
その時の再飲酒は正直、想定外で、飲んだのは確かに自分だったけど、生まれて初めてクエスチョンマークが頭に浮かび上がってきた。
節度を持って飲酒できていなかったことは、自分の入退院の繰り返しを振り返ると理解できたけど、自分に酒がやめられないということがどうしても認められなかった。
再飲酒の瞬間、この一杯を飲んでしまえばどれだけみんなに迷惑をかけるか、苦しめるのかを分かっていたから、罪悪感でいっぱいになった。それでも最後の最後には、一杯の酒を飲んでしまう。
最後の最後に諦めたのは自分なんだから、諦めないよう決意や気持ちを強化することが、目の前の一杯に立ち向かう唯一の方法だと信じていた。
しかし依存症という病は、そんな決意や気持ちなんて本当に簡単にひっくり返す。
まともに考えたら絶対飲めない状況なのに、容易に飲ませてくる。そのとき初めて「これが依存症だ!」と、そして自分自身がすでにそんな状態になっているんだと認めることができた。
それまでは、アルコールや薬物の問題のない自分になれば依存症は解決すると思っていた。
けれども、再飲酒を通して身をもって感じたのは、病をなくすことを目指すのではなく、受け入れて共に生きることだった。