2025年11月2日
※文化時報2025年8月12日号の掲載記事です。
私が個人的にうかがわせてもらった大学やセミナーで、「洋次郎さん、めちゃくちゃ承認欲求強いですね!」と言われたことがあります。最初は馬鹿にされているのかなと思ったけど、よくよく聞いてみると違いました。

今までは依存症や薬物中毒、精神科病院入院、刑務所服役と聞くと、自分とは全く縁のない知らない世界の話だった。けれども洋次郎さんの話を聞いて、たしかに依存症や薬物中毒、精神科病院入院、刑務所服役のことはよく分からなかったけど、そこに至るまでのプロセスは分かる気がしました―。
たまたま私は会員制交流サイト(SNS)や友達関係の中でそれらを満たそうとしていただけで、洋次郎さんはそのやり方が少しはちゃめちゃだった。私はこちら側にいられているけど、いつそっち側に行ってしまってもおかしくない地続きにある問題なんだと気が付きました―。そうコメントしてくれました。
他人事が自分事に変わっていく様子を、私は学生さん自身の変容の中から見いだせてきた気がします。
たしかに医療やリカバリハウスいちごのような依存症回復支援施設につながってからも、本人が酒や薬を使わない生活を受け入れ、実際に生き始めるまでには長い月日がかかる場合が多くあります。
しかし、しんどさや問題を持たざるを得なくなった人たちがもっと早い段階で行き詰まりやどうにもならないしんどさを話せたり、助けを求めてもいいんだと思えたりする人たちや場と出会えるには、地道な啓発活動が実は大きな役割を担っているんだと感じています。
またアディクション(依存症)が完治を目指すのではなく共存を目指す生き方でもあるなら、地域や社会にこのことを浸透させていくことは「リカバリーカルチャー」、地域や社会を耕すことになり、結果としてここに生きるみんなが生きやすい世界をつくる一端にもつながっていくと感じています。
依存症を患った人間がいま一度、アディクション領域をより良くしていける一端を担わせてもらえることは、大きな喜びでもあります。