2025年11月21日
※文化時報2025年9月2日号の掲載記事です。
2025年8月20日、早起きして家を出発した。香川県善通寺市にある四国少年院で、在院中の少年たちに向けて自分自身の経験を分かち合わせていただくために、岡山を経由して善通寺を目指した。今回は外部講師として話をさせていただくのだが、私自身も33年前、兵庫県加古川市にある少年院、加古川学園に収容されていた。

四国少年院では最初約1時間、三十数人の少年たちに向けて自分自身の話をした。何度か少年の顔が綻(ほころ)いで見える瞬間があって、とてもうれしかった。
講演の後は、仮退院を間近に控えた少年たち約10人が私の前に座って、お互いに言葉や感情を交わすようなリラックスした雰囲気の中で、静かに分かち合いを続けた。
年齢的には、子どもがいたら本当に自分の子どもでもおかしくないぐらいの10代後半の少年たちと共に、いろんなことを感じていた。
少年院に収容されているということは当然罪を犯したからで、決して良い行いをしてきた少年たちが目の前にいたわけではない。けれども彼らの言葉の一つ一つに、彼らの奥深くに、良心の破片が息づいている。
繰り返した犯罪や周囲との関係の中で感じることも信じることもできなくなってしまっていても、それは紛れもなく在る。私はそれを信じているし、私たちはそれを信じてみるところからしか何も始まらないことを知っている。
少年院にいる以上、反省の言葉を述べたり、謝罪をしたりする必要はあるのだろう。けれどそれよりも、正直な自分の気持ちを話してほしいと思った。
正直になれたとき、苦しいんだと感じる良心の声、後ろめたさを感じる良心の声が聞こえるのだと感じる。
酷(ひど)い行いの日々で押し潰されそうになりながらも、良心はそれでも生き続けてくれていた。
あなたがあなたでいることは時に苦しさを感じるだろうけど、同じように苦しみを引き受けて生きる人たちがこの世界にはたくさんいるんだということを、感じてほしい。
少年の頃の自分にも問いかけるよう、目の前に生きる少年たちと自らの経験を分かち合えたことは、本当に素晴らしい体験だった。
何より、四国少年院のある香川県は実の父親が生前、生まれ育った土地だったし、父方の祖父母の生きた土地だ。そんな場所にこうやって来ることができて、本当に感謝でいっぱいだった。
渡邊洋次郎(わたなべ・ようじろう) 1975(昭和50)年、大阪府生まれ。中学の頃に薬物中毒になり、卒業後すぐ少年鑑別所入所。4度の入所を経て、16歳の終わりから18歳になるまで中等長期少年院で過ごす。20歳から30歳までに計48回、精神科病院に入院。30歳からの3年間を刑務所で服役し、2008(平成20)年の出所後、酒や薬が止まった。
自助グループのミーティングへ行くなどし、18年から依存症回復支援施設リカバリハウスいちごで正社員として働く。18年3月、介護福祉士取得。20年3月、通信制高校卒業。著書に『下手くそやけどなんとか生きてるねん。』(現代書館、2019年)、『弱さでつながり社会を変える』(同、2023年)。