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「文化時報」コラム

〈9〉仲間(下)

2025年5月8日

※文化時報2025年2月4日号の掲載記事です。

 アルコールや薬物の問題をなくすことを目指すのではなく、受け入れて共に生きる。

 それは、依存症者である自分自身を生きる、ということだった。

 「依存症者の自分の人生って、なんやろう?」

 自分自身の体験を通して気付けば、仲間に対する気持ちも変わっていた。

生き直し―非行・自傷・依存と向き合って―サムネイル

 素面(しらふ)で生きることが絶望でしかなかった私が、素面でも生きられる! 素面で生きるのもまんざら悪くない、と思わせてくれたのは、私と同じように依存症を持ちながらも素面で生きている仲間たちの存在のおかげだった。

 私と仲間たちをつなぎ留めるのは唯一の共通点、お酒を飲まないで生きたいという気持ちだけだった。

 飲まないで生きたいという願いを自分の中に見つけられていなかったときは、仲間たちと自分に共通するものなんて当然見いだせないから、違いだけが強調されていた。

 けれども共通点を自分の中に見つけた時、違いは大した問題じゃないんだと思えたし、決して同一になるから仲間なのではなく、違いだらけでも唯一の共通点を持っていたら、仲間なんだと思えた。

 未来の仲間、世界中に生きるまだ見ぬ仲間という言葉が理解できたのは、出会っていたりつながっていたりすることだけが重要なのではなく、共通点を持っているか持っていないか、自分の心の持ちよう一つで世界中の人たちが仲間になっていくと思えたからだった。

 相手から認めてもらえるから仲間なのではなく、心を開いて、私が唯一の共通点を見たとき、自動的にみんなが私にとっての仲間になっていく。広大な地球に、数えきれない仲間たちが生きている。そんな大きな大きな安心の中に、自分の信を置いて生きられる。

 自分の人生を信じ切るだけの信仰を、私は私の中に育てた。

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