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「文化時報」コラム

〈16〉依存症者の生きづらさ

2025年8月22日

※文化時報2025年5月27日号の掲載記事です。

 依存症者の生きづらさは、飲酒や薬物使用のコントロールが利かない依存症という状態や、結果として精神科病院や刑務所に入るということに対してよりも、それらを使わなくなって気付くものが多い。

生き直し―非行・自傷・依存と向き合って―

 確かに薬物やアルコールが最優先になったり、そのことをごまかさないといけない状況が居場所を失わせたり、人との関係が絶たれる原因にはなったけど、それでもそれらは二次的、三次的な問題な気がする。

 そこで気付くのが、実は依存症になるよりもずっと以前からあった生きづらさだ。

 幼い頃から人の中にいても孤立感や疎外感でいっぱいだったり、具体的な何かや誰かに否定されているわけじゃないけど、何者かに否定されているような感覚が自分の中からへばりついて離れなかったり…。取り繕っていたらなんとかその場や人とのつながりは保てていたけど、本当の自分を出してしまったらきっとみんな離れていくという怖さが常にあった。

 社会で生きる人たちと断絶されたところにいるような、何のために生きているのかも分からないような…。

 生き抜くために本当はしたくないことをするしかない、何もかもを打破していける力を持たない、社会においてお荷物か消費されるしかない自分。

 そんな自分を恐る恐る生き始めたのは、仲間の中だった。

 年相応なんてとんでもない、かなり際立った生きにくい自分、生きる経験値のほとんどない自分は、一切の物差しのない人たちの中に生きられて、初めて生き直しに取り組めた。

 依存症という病気が引き起こすさまざまな苦痛や苦悩はその先にあり、逆に言えば元々の生きづらさを解消する術(すべ)が依存にしか見いだせなかったのだ。

 だからリスクや周囲への迷惑行為、違法行為になっていても、それを認めるのはとても苦しいこと。それらを手放したあとの自分や生き方が全く分からなかった。

 依存症になってからのデメリットや苦しさは確かに大きいが、それ以上にもっともっと苦しかったのは、何かから逃げるために起こしてきた行動の連続だった。だからどんなに苦しい思いをしても、やめて生きようとなかなか思えなかった。そして何より生き抜くためにとった行動が、さらに人生や人間関係を破綻させていく現実に、本当は自分でもどうしようもなくなっていた。

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