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「文化時報」コラム

〈18〉素面(上)

2025年9月22日

※文化時報2025年6月24日号の掲載記事です。

 素面(しらふ)で生きるなんてあり得ないと思っていた。アルコールやシンナー、処方薬を訳が分からんくらい身体に入れて、自分も精神も見えるものも聞こえるものも、全てぐちゃぐちゃにしたかった。

生き直し―非行・自傷・依存と向き合って―

 精神がかき乱され、感情がアップダウンし、交錯する一瞬がたまらなく好きだった。家にいてもうるさい親がいた。小学校でも中学校でも、訳が分からん勉強をしろと言う。勉強が分からんだけではなく、何でやる必要があるのかも全く分からんことをさせられ、「できてへん!」と、どやされる。

 一人でいても誰かといても、常識や流れている空気、状況を観察して、ここのトップは誰か、何に沿うのが無難なのか、そんなことばかり考えていた。

 非行や薬物は俺を、そんなことを気にしない人間にさせてくれた。強さを得て、敵なんていないという感覚もくれた。

 自己憐憫(れんびん)?自己満足?―とにかく、居心地の良さがあった。ひねくれて、うつむいて、ヤンキーを気取って、ふてくされて、絶望感に漂っていたら、自分が自分でいられる感じがあった。

 自分に酔っ払う?感情に酔っ払う?―とにかく、誰からも邪魔されない、隔絶された自分だけの世界に浸れた。現実も事実も知らんわ! 目が覚めたくなかった。目が覚めた世界と酔いに浸る世界、どっちが本物かも分からないし、自分がどっちの住人かも分からなかった。

 素面は、酔いが覚めるだけ。酔いの覚めた世界を、気だるさと虚無感いっぱいで生きさせられることだった。無意味で無目的な日々を、まるで囚人のように、まるで世捨て人のように、延々と、黙々と淡々と、意味も何もない現実を歩かされることだとしか思えなかった。

 素面の意味が変わったのは、たくさんの仲間に出会えたからだ。俺から見ても、この人は相当ひどかっただろうなと思うような仲間たちと、たくさん、たくさん出会えた。生き方を変えられ、生きている仲間たちの姿は、希望にあふれ、何よりとても魅力的だった。

 素面や素面で生きることが、もしも俺にとって、先に書いたようなつまらない生き方を強いるだけのものだったら、俺は絶対に選ばなかった。

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