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「文化時報」コラム

㊴場所と役割

2023年7月28日

※文化時報2023年4月21日号の掲載記事です。

 歴史好きの私にとって、NHKの大河ドラマは、子どもの頃から特別な存在だった。特に10代前半の頃に見た「国盗(と)り物語」「勝海舟」「元禄太平記」「風と雲と虹と」などの作品のシーンは、半世紀近くたった今もなお記憶に残っている。

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 大人になってからは、毎週同じ時間帯にテレビの前にいることが難しくなったこともあり、最初から最後までを見終えた大河ドラマは少なくなった。

 そのような中で、当時住んでいた鹿児島出身の女性が主人公であった「篤姫(あつひめ)」は、珍しく全回欠かさず視聴した作品である。その「篤姫」が、この4月からNHKのBS4Kで再放送されることになった。早速録画予約し、15年ぶりに懐かしい篤姫と対面した。

 この作品は、全編が一つのキーワードに貫かれている。それは「己が役割」である。

 ドラマの最序盤で、少女時代の於一(後の篤姫)が「人にはみな、それぞれの役割がある」と母親から教えられる。於一が次にこの言葉を聞いたのは、薩摩藩の家老・調所広郷の口からだった。

 調所は、薩摩藩の財政危機を立て直した一方、苛烈な倹約政策で領民を苦しめていた。さらに藩財政を潤すために中国との密貿易や偽金作りまで行っていた。

 その強引な手法を於一に問われた調所は「薩摩藩の家老という己が役割を果たしたまで」と答える。そして、藩ぐるみで行っていた中国との密貿易や偽金作りが幕府に発覚したとき、調所は、すべては自分一人の責任であるとして自害した。調所の自害は史実だが、ドラマではこれが篤姫の少女時代の原体験として描かれている。

 後に13代将軍家定の正室となった篤姫は、夫の死後出家して天璋院と称した後も幕府の人間であり続けた。幕末には、かつて自分を幕府に送り込んだ実家の薩摩藩と対峙(たいじ)し、江戸城の無血開城を実現させた。まさに自分の置かれた境遇の中で「己が役割」を果たした人生だったのである。

 ドラマの終盤、天璋院が、安政の大獄を断行した大老・井伊直弼の真意をただそうと、余人を交えず茶室で語らうシーンがある。

 天璋院役の宮﨑あおいと、井伊直弼役の中村梅雀の迫真の演技が、大河史上屈指の名場面として語り継がれているが、そこでの井伊直弼のせりふも「役割にござります」だった。井伊直弼は、その数日後に桜田門外の変で命を落とすことになる。

 人知の及ばぬ運命に導かれて、ある場所に置かれた人間が、そこで自らの役割を見出し、全うするという営みの重さを、再審法改正という使命に直面している今、ひしひしと感じながら、『篤姫』の再放送に向き合う自分がいる。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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