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「文化時報」コラム

〈59〉ソーラーファーム

2024年4月25日

※文化時報2024年3月1日号の掲載記事です。

 あちこちを歩き回っていて、新幹線や、山間を行くバスの車窓から、あたり一面が黒光りしている風景をしばしば見るようになりました。太陽光発電機がズラリと並ぶ、ソーラーファームです。無機質な黒い板は、かつてそこに育まれていたであろう米や麦を押しのけ、ぞろぞろと不気味に並んで寡黙に太陽光を集めています。

傾聴ーいのちの叫び

 その風景を見ていると、なぜか、胸の奥底の神経がチリチリと震えてくるのです。捉えどころのない漠然とした恐怖、うまく説明できない暗然たる不安が、もわりとめくれ上がってくる前兆です。

 釈根灌枝(しゃくこんかんし)。もしかして太陽光発電機が地面を埋め尽くすこの光景は、枝にばかり水をやって、物事の根幹を忘れているという事態の表れではないですよね。

 煌々(こうこう)とともる街灯の下で車や電車が縦横無尽に動き回り、大判のモニターが大音量で映像を流し続ける街中に、食べるものがなく瘦せ細って立ち尽くす人々の姿が見えたような気がしたのは、私の考えすぎですよね。

 こんなことを言っている私だって、ありがたく電気を使わせていただいています。今、文字を打っているパソコンだって、部屋を暖めているエアコンだって、飲んでいるコーヒーを淹れたコーヒーメーカーだって、電気で動いているのです。

 もはや、電気がない生活なんて想像もできないくらい当たり前に、電気にまみれて生活しています。この生活を守り続けるためには、せっせと電気をつくらなければなりません。だからこその、ソーラーファームですよね。

 でも、やっぱりなんか、漠然と不安になるのです。もしロボットだったら、おなかをいっぱいにするのも電気で事足りるのでしょうけれど、我が身は生(なま)です。米でも、麦でも、野菜でも、とにかく土から採れるものを食べなければ、生きていけないではありませんか。だから、本能が言うのです。「土に返れ」と。

 いや、きっと、取り越し苦労ですね。偉い人はちゃんと考えてくれているはずです。

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