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「文化時報」コラム

〈72〉宗教者は何をすれば

2024年4月19日 | 2024年10月2日更新

※文化時報2024年1月16日号の掲載記事です。

 NHK紅白歌合戦に東本願寺御影堂門が映って飛び上がった。食い入るように画面を見つめていると、Adoさんというミュージシャンが能舞台で歌っていた。還暦前のおじさんがついていけるような歌ではないが、若い世代を中心に大人気だそうだ。

 その後、会員制交流サイト(SNS)での反応を追いかけてみた。東本願寺に親しみを感じる人たちからは「Adoさんにどうやってオファーしたのか」という投稿があった。逆にAdoさんのファンは「重要文化財の舞台を貸してくれるなんて、東本願寺は懐が深い」という。何百万人という「信者」を引き連れて、東本願寺とAdoさんが融合したように感じた。

 「人集めのパフォーマンスだ」と眉をひそめる人もいるだろう。しかし、能の大成者といわれる観阿弥・世阿弥父子の名は、「阿弥陀仏号」といわれる法名である。芸能が寺と無関係というのは違うように思う。Adoさんは現代の観阿弥・世阿弥なのかもしれない。

 昨年末に「加賀ノ月」というお酒をいただいた。年末年始にゆっくり味わうのを楽しみにしていた。現在も「真宗王国」といわれる北陸の中でも、石川県は特別。戦国時代には「百姓ノ持タル国」と呼ばれ、領主なき自治を100年間も維持してきた稀有(けう)の土地である。その種をまいたのは蓮如上人だろう。

 意外なことに蓮如上人が吉崎(現在の石川県加賀市・福井県あわら市)にいたのはたった4年あまり。吉崎に流れ着いたのは都を追われたからである。それは実に不思議なことではないだろうか。吉崎は曹洞宗大本山永平寺(福井県永平寺町)からも近く、けっして念仏が根付いていたわけではなかろう。そんな土地で一からお堂を建て、たった4年で人々を熱狂させたのだから、驚異的なパワーである。

 その石川県が元日から大災害に襲われた。なんとも痛ましいことである。

 こんな時、宗教者は祈ることしかできないのだろうか? 人命救助や支援物資の配給など直接的なことはできないかもしれない。ミュージシャンは歌で被災者を勇気づけることができるだろう。宗教者は何をすればいいのだろうか?

 弔いだけではないような気がする。模索の一年がまた始まった。

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