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「文化時報」コラム

〈51〉立入禁止

2023年11月30日

※文化時報2023年10月6日号の掲載記事です。

 先日、異国情緒漂う街を訪ねました。食べ歩きを楽しむ人、色鮮やかな雑貨を物色する人、威勢のよい呼び込みの声、異国の音楽。まるでお祭りのようなにぎやかさです。その一角に、しんと人波の途絶えるところがあり、はてと見ると「檀信徒以外立入禁止」「記念撮影お断り」の大きな文字が飛び込んできました。

 

傾聴ーいのちの叫び

 ふと、台湾の寺を思い出しました。境内は人であふれ返っています。熱心にお参りをする人はもちろんのこと、そこここで柱に寄りかかってうたた寝をする人や、べちゃくちゃと世間話に興じる人がいます。祈りの声と、暇つぶしの欠伸(あくび)。澱(よど)む混沌(こんとん)。でも、生命の息吹を感じるのです。仏様が奥に座って鎮とすましているのではなく、立ち上がって出てきて、衆生と一緒になりわちゃわちゃしている。仏の手の温かさや、懐の大きさを感じるのです。

 「立入禁止」。私は守るべき寺も持たないしがない身ですから、ご苦労の数々を知るわけもありません。きっと紆余(うよ)曲折の末の苦肉の策であられることでしょう。

 実は、介護の現場もそうなのですよ。かつては暴言バリバリの暴れん坊さんのオムツも、手を押さえながら替えさせていただいたものでしたが、最近は非協力的だと「当方ではお受けできません」となってしまいます。聞き分けの良いお利口さんしか相手にしてもらえないのです。もちろん、介護士さんの人権も守られるべきですから、当然のことなのですが。

 でもね、本当に苦しくて、何かにすがりつきたいほど困ってしまっている人って、お利口さんではない率が高いと感じています。うまく立ち回れるくらいなら、自分で何とかしているのです。それができないから、駆け込んでくるのですよね。

 台湾の寺で、日に何度かあるお勤めの時間にちょうど境内に居合わせた時のことです。僧侶たちの読経が始まると、寝ていたおじいさんがやおら起き上がり唱和しました。

 門前の小僧習わぬ経を読む。これぞ、仏の真の救済。

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